クライマックスのTVRグランチュラ(1) 薄肉FRPボディ ル・マン頓挫のクラブマン・レーサー
公開 : 2025.05.24 17:45
アマチュア・レーサーを支えたTVR ル・マンが前提のワークス・グランチュラ 資金繰りの深刻化でレース前に売却 レーサーらしく凛々しい佇まい 象徴的な1台をUK編集部がご紹介
もくじ
ーアマチュア・レーサーを力強く支えたTVR
ー公道走行にも対応するスポーツレーサー
ーキットで販売されたグランチュラ
ーGT1300クラスへ出場が前提のワークスマシン
ー資金繰りの深刻化でマシンは参戦前に売却
アマチュア・レーサーを力強く支えたTVR
深刻な財政状況にも関わらず、1960年代のTVRは大胆不敵だった。グレートブリテン島中西部、ブラックプールに拠点を構えた小さなスポーツカーメーカーは、モータースポーツ界での知名度向上を目指し、ル・マン24時間レースへワークス態勢で挑んだ。
最終的には、資金不足で頓挫する。それでも、ワークス仕様のグランチュラが生み出されるきっかけになったことは間違いない。今回は、その1台をご紹介しよう。

新車当時、グランチュラには多様なバリエーションが存在し、アマチュア・レーサーによるモータースポーツ活動を力強くバックアップした。それは、ブランドの熱き魂を象徴するものでもあった。
TVRとして、最初のチューブラー・バックボーンシャシーが開発されたのは1949年。初期のモデルは、フロントにフォード由来のサイドバルブ4気筒エンジンが載り、ステアリングラックは従来的なウォーム&ペグ式で、FRP製の軽量ボディで覆われていた。
公道走行にも対応するスポーツレーサー
シャシーには改良が重ねられ、フォルクスワーゲン・ビートル譲りのトレーリングアームとトーションバーへ、サスペンションがアップデートしたのは1955年。前後とも独立懸架式となり、オープンボディが与えられ、アメリカ市場へ本格的に打って出た。
その後、排気量1098ccで汎用性の高い、コベントリー社製クライマックス・エンジンを採用。同時期にハードトップ・クーペのボディが開発され、1958年にTVR初の量産車と呼べた、グランチュラが誕生している。

シンプルでライトウェイト、ハイパフォーマンスを叶えたグランチュラは、公道走行にも対応するスポーツレーサーを求めたドライバーへ応えた。レザー内装やヒーター、フロントガラス・ウオッシャーなど、公道重視の装備で整えることも可能だった。
ただし、ビートル譲りのサスペンションはロールセンターが高く、サーキットを踏まえるとスプリングは硬くせざるを得なかった。乗り心地は、コース外では褒めにくかった。
キットで販売されたグランチュラ
グランチュラはキットで販売され、当時の英国では新車の購入税を免れることができた。Mk1は、100台程度が生産されたと考えられている。
1172ccで35psを発揮した、フォード・エンジン仕様のお値段は660ポンド。スーパーチャージャーも用意され、望めば56psの最高出力を得られた。予算次第で、1098ccのクライマックスや、1489ccのMGA用エンジンも、届けてもらうことが可能だった。

1961年に、今回の例のようなMk2へ進化。テールラインが僅かに伸ばされ、リアフェンダーが広げられ、ボンネット上にウインカーが追加されている。殆どの技術は継投されたが、エンジンはMGA譲りの1622cc 4気筒が標準に。4速MTもMGから調達された。
ブレーキは、オースチン・ヒーレー 100と同じドラムをリアに採用。フロントはディスクで、ステアリングラックは、モーリス社製のラック&ピニオン式が組まれた。オプションで、1216ccのクライマックス・ユニットとZF社製MTも指定できた。