チェコの名門 スコダが投じた過激なレーシングカー&コンセプトカー 18選(前編) 「東欧のポルシェ」の異名も

公開 : 2025.12.06 11:25

スコダF3(1964年)

スコダはラリーステージでの成功でよく知られているが、シングルシーター競技にも進出していた。このF3マシンは1964年にフォーミュラ3とフォーミュラジュニアで使用された。当初は、最高出力77psを発揮する水冷式1.0L直列4気筒エンジンを搭載していた。

スコダF3(1964年)
スコダF3(1964年)

スコダ130RS(1975年)

1974年に登場したスコダ200RSは「ラリースポーツ(Rallye Sport)」の接尾辞を初めて採用したモデルであり、これは現在も(英国ではvRSとして)すべての高性能モデルに用いられている。しかし、翌年に登場した130RSこそが、成功の真の原動力となった。

130RSは110Rクーペをベースとしつつ、より大型のエンジンを搭載。軽量化のためアルミ部品とグラスファイバー製バンパーを採用した。市販車として生産され、モータースポーツでの活躍から「東欧のポルシェ」の異名を得た。

スコダ130RS(1975年)
スコダ130RS(1975年)

ラリー・モンテカルロではクラス優勝を複数回達成し、1981年には欧州ツーリングカー選手権8戦中6戦で優勝してタイトルを獲得した。その後継モデルである130LRはグループB仕様で生産され、1986年のトルコ・ラリーで驚異的な勝利を収めている。

スコダ・ファヴォリット、フェリシア、オクタビア(1991~1999年)

1991年にフォルクスワーゲン・グループがスコダを買収したことで、市販車とモータースポーツへの姿勢は一変した。1994年にはFIA世界ラリーカップにファヴォリットのキットカーで参戦し、タイトルを獲得した。

その後、ファヴォリットの後継車としてフェリシアが登場した。これはフォルクスワーゲン傘下で開発された初の競技用車両であり、スティグ・ブロンクビスト氏の操縦で数々の強豪を倒して有名になった。さらにオクタビアのキットカーでも成功を収め、スコダ・モータースポーツは世界ラリーの頂点を目指すためのノウハウを蓄積していった。

スコダ・ファヴォリット、フェリシア、オクタビア(1991~1999年)
スコダ・ファヴォリット、フェリシア、オクタビア(1991~1999年)

スコダ・オクタビアWRC、ファビアWRC(1999~2005年)

スコダのWRCにおける成績は、実はさほど目立つものではない。アルミン・シュヴァルツ氏が2001年サファリ・ラリーで3位に入り、チーム唯一の表彰台を獲得しただけだ。しかし、これは当時のシリーズの強豪ぶりを表している。

スコダ初の四輪駆動ターボラリーカーであるオクタビアWRCは、スピードこそ劣るが、その強靭さで知られている。シリーズ最難関イベントでの表彰台獲得がその証左だ。

スコダ・オクタビアWRC、ファビアWRC(1999~2005年)
スコダ・オクタビアWRC、ファビアWRC(1999~2005年)

スコダは2003年にファビアWRCへ切り替えたが、当時圧倒的な強さを誇っていたシトロエンチームに対抗できるレベルまでマシンを磨き上げるリソースは持ち得なかった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジェームス・アトウッド

    James Attwood

    役職:雑誌副編集長
    英国で毎週発行される印刷版の副編集長。自動車業界およびモータースポーツのジャーナリストとして20年以上の経験を持つ。2024年9月より現職に就き、業界の大物たちへのインタビューを定期的に行う一方、AUTOCARの特集記事や新セクションの指揮を執っている。特にモータースポーツに造詣が深く、クラブラリーからトップレベルの国際イベントまで、ありとあらゆるレースをカバーする。これまで運転した中で最高のクルマは、人生初の愛車でもあるプジョー206 1.4 GL。最近ではポルシェ・タイカンが印象に残った。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

チェコの名門 スコダが投じた過激なクルマの前後関係

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