チェコの名門 スコダが投じた過激なレーシングカー&コンセプトカー 18選(前編) 「東欧のポルシェ」の異名も
公開 : 2025.12.06 11:25
チェコの自動車メーカーであるスコダは、モータースポーツにおいて豊かな歴史を誇ります。ラリーをはじめ数々のレースで活躍し、また近年では大胆なコンセプトカーを生み出す才能にも長けています。その一部を紹介しましょう。
もくじ
ーラリーで名を馳せる東欧メーカー
ーラウリン&クレメントCCR(1905年)
ースコダ・ラピッド・シックス(1935年)
ースコダ・ポピュラー・スポーツ(1936年)
ースコダ・オクタビア・スポーツ(1961年)
ースコダF3(1964年)
ースコダ130RS(1975年)
ースコダ・ファヴォリット、フェリシア、オクタビア(1991~1999年)
ースコダ・オクタビアWRC、ファビアWRC(1999~2005年)
ースコダ・ファビアS2000(2009年)
ースコダ・ファビア・ラリー2(2021~)
ラリーで名を馳せる東欧メーカー
チェコの自動車メーカーであるスコダ(Skoda)は、今年で創業130周年を迎える。安価で親しみやすい乗用車だけでなく、ラリー・モンテカルロでの優勝から学生デザインによるコンセプトカーまで、幅広い分野に挑戦してきた実績を持つ。
本特集では、130年にわたるスコダの歴史の中でも特に重要で影響力があり、また筆者が最も気に入っているクルマを紹介する。

ラウリン&クレメントCCR(1905年)
公式の世界選手権ではないが、1900年代初頭、フランス・ドゥルダンで開催された国際モーターサイクルカップは年間最大のイベントだった。
現在のスコダの前身となるラウリン&クレメントは、1901年からこのレースに参戦しており、1905年にはヴァーツラフ・フォンドリヒ氏がCCRを駆り、同社初の大きな勝利を収めた。

スコダ・ラピッド・シックス(1935年)
ラウリン&クレメントは1906年、ヴォワトゥレットA(Voiturette A)で四輪競技に転向し、その後数年間でチェコ国内のさまざまなイベントで勝利を重ねた。
しかし、1925年に産業界の大手スコダ・ワークスとの合併により、レース活動に充てられる資金が潤沢になった。これがラピッド・シックスの開発につながり、1935年のチェコスロバキア1000マイル(ミッレミリアを模した公道耐久レース)で総合3位とクラス優勝を勝ち取ることになった。

スコダ・ポピュラー・スポーツ(1936年)
このマシンは華々しいクラス優勝を飾り、上位のライバルを打ち負かすコンパクトなラリーカーというスコダの評判の礎となった。ズデネック・ポール氏とヤロスラフ・ハウスマン氏が操るポピュラー・スポーツは、スコダ初のラリー・モンテカルロで1500cc未満クラス2位、総合20位を獲得した。

スコダ・オクタビア・スポーツ(1961年)
現在も販売されているオクタビアの元祖は1959年に登場した。翌年には、コンバーチブルのフェリシアからツインキャブレターエンジンを流用したツーリングスポーツ版が追加されている。
1961年、エスコ・ケイネン氏とライナー・エクランド氏はラリー・モンテカルロでクラス優勝を果たし、総合6位という輝かしい成績を残した。当時のスコダの挑戦はラリーだけにとどまらなかった。1101は1950年代に数々のスポーツカーレースに出場し、1950年のル・マン24時間レースにも参戦している。





































