AUTOCARアワード2019予選 真のアイコン選手権 決めるのはあなた(中編)

公開 : 2019.03.16 11:50  更新 : 2019.06.03 08:54

ジープラングラー

ジープに1票を。だが、わたしが言うのは本物のジープであり、セロテープやポーターキャビンといった、ブランドを越えた商品名のように、4×4モデル全般を指して言う「ジープ」のことではない。

これほどブランドを越えてそのイメージが定着したクルマなどないだろう。決して初めてではなかったかも知れないが、それを言えば、自動車という名前そのものが、1886年のベンツ・パテント・モトールヴァーゲンに端を発しているのだ。

では、どうやってこの米国製オフローダーは他の長寿を誇るモデルのなかで、もっともアイコニックな存在となったのだろう? 1940年、欧州戦線への参戦間近となっていた米軍は、135社にコンタクトし、わずか49日間でオフロードの偵察用車両のデザインと、実動可能なプロトタイプを提案するように求めた。

この要請に対応したのは、わずか2社であり、ウィリス・オーバーランドが期限の延長を求めた一方で、バンタムはBRC 40を提案することに成功し、いくつかの改良を加えられたこのモデルは、ウィリスを含めた複数のメーカーによって、すぐに生産が開始されることとなった。

その結果、この車両は数万台が生産され、4年後には、連合国軍の兵士を乗せてベルリンへと到達する一方、「Civilian Jeep(民生ジープ)」としてCJモデルの開発が開始されている。このクルマの戦後の成功は鮮やかなものだった。1940年代後半には、20万台以上のCJ-2Aが生産されているが、ジープの偉大さをしめすものはこの生産台数だけに留まらない。

例え、軍務における功績を差し引いたとしても(これだけでも、ジープのアイコンとしての地位には十分だ)、民生用ジープが誇る長寿と、その影響力は驚くべきものだ。これほどの短期間で開発され、いまだにオリジナルの精神を色濃く感じさせるモデルなど他に存在しないだろう。


ジープ・ラングラー(1980年代からこの名を名乗っている)の現行JLシリーズを、オリジナルであるバンタム社製プロトタイプの横に並べてみても、その繋がりを感じないわけにはいかない。

では、ジープの影響を受けたモデルを見てみよう。ランドクルーザーの始祖となったトヨタの4×4モデルは、それ自体がアイコンと呼べる地位を確立しており、ランドローバーも同様だ。さらに、ジープは、日本では三菱によって、インドではマヒンドラ、さらにはスペインと南米でもライセンス生産が行われている。もし、ジープが無ければ、こうしたモデルが生まれることもなかった。

ベンツ・パテント・モーターヴァーゲン、フォード・モデルT、及びミニを除けば、ジープほど世界中に影響を与えたクルマは存在しないとも言える。そして、こうしたモデルのなかでも、唯一ジープだけが、初代から現在まで途切れることなくその名を繋いでいるのであり、80年前と同じく、求められる任務に忠実なモデルであることに変わりはない。

現行ジープ・ラングラーの取外し可能なルーフと、前へと倒すことのできるフロントウインドウは、1940年代のウィリス・ジープからの伝統であり、オフロードだけで行くグランドツアーでは、この2台は最高の相棒と呼べる存在だ。

他のスタッフはそれぞれ別のモデルへの1票を求め、もちろん、そうしてもいいが、それは間違いだ。それぞれが特別な思い出を持っているにしても、変わらぬ本物はジープだけであり、つねに、時代に即したモデルとしての魅力を保ちつつ、常にオフロードで光り輝く1台であり続けている。

ジープとは一般名称化した単なるアイコンというよりも、史上最高の偉大なクルマに他ならない。
(マット・プライアー)

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