フランスが誇る世界最大の自動車博物館 シテ・ド・ロトモビル訪問記(前編) 奇妙な卵型ワンオフから超高級ブガッティまで
公開 : 2026.01.25 11:25
フランス国立自動車博物館『シテ・ド・ロトモビル』には500台以上の車両が展示されています。今回は本館で見つけた歴史的名車や、あまり知られていない奇妙なワンオフモデルなどを一部抜粋して紹介します。
もくじ
ー500台以上の自動車コレクション
ー私有から公有、そして国有へ
ーパナール・エ・ルヴァッソールP2C(1891年)
ーラ・ジャメ・コンタント(1899年)
ースコット・ソシアブル(1923年)
ーブガッティ・タイプ40(1928年)
ーブガッティ・タイプ43 (1929年)
ーブガッティ・タイプ47トルペード(1930年)
ートラクタ・タイプEI(1930年)
ーアルファ・ロメオ8C 2300(1932年)
ーアルファ・ロメオ8C 2900(1936年)
500台以上の自動車コレクション
フランス国立自動車博物館『シテ・ド・ロトモビル(Cite de l’Automobile)』は、同種の博物館では世界最大級規模を誇る。
ドイツとの国境に近いアルザス地方ミュルーズに位置し、フランス国内外の自動車産業の変遷を物語る数百台の車両を収蔵している。奇妙な卵型のワンオフモデルから、数百万人が二輪から四輪へ移行するきっかけとなった量産車まで、数えきれないほどのクラシックカーが並ぶ。また、同館は世界最大のブガッティのコレクションも展示している。

私有から公有、そして国有へ
シテ・ド・ロトモビルはシュルンプ兄弟のおかげで存在する。兄弟はスイス生まれの実業家で、1950年代にコレクションの収集を始めた。当時、1920~30年代製の自動車は古くて価値のないものと見なされ、多くが安価で取引されていた。兄弟は特にブガッティを中心に数百台を購入し、ピークには合計約560台に達した。
1960年代、シュルンプ兄弟は紡績工場の一部を私設の博物館兼修復工場に改装した。このことは極秘とされ、施設の存在を知る者は少なく、訪れる者はさらに稀だった。しかし1970年代、欧州の繊維産業が不振に陥ると、シュルンプ兄弟は工場閉鎖と従業員の解雇を始めた。

このコレクションは、シュルンプ社を解雇され、ストライキで施設に侵入した労働者たちによって発見された。彼らは同施設を「労働者の博物館」と名付けて一般公開した。やがてフランス政府が、歴史的記念物に指定することでコレクションを一元管理することになった。
政府は後に、評価額の数分の1でコレクションを買い取り、1982年に現在の形で博物館を開設した。シュルンプ兄弟はスイスで亡命生活を送った後、それぞれ1989年と1992年に死去した。
パナール・エ・ルヴァッソールP2C(1891年)
ダイムラー製エンジンを搭載したP2Cは、パナール・エ・ルヴァッソール社が最初期に1891年にパリで製造した自動車だ。1896年、ジュール・ガヴォワ氏という修道院長が購入し、26年間で10万km近くを走行した。1911年、ガヴォワ氏が愛情を込めて「アントワネット」と名付けたP2Cは、フランス最古の現役自動車として認定された。

ラ・ジャメ・コンタント(1899年)
ベルギーの電気自動車会社「コンパニー・インターナショナル・デ・トランスポール・オートモビル・エレクトリク」は宣伝目的でロケット形状のラ・ジャメ・コンタントを製作した。同社は20世紀初頭に急成長した電気自動車市場への進出を図り、プロモーションとして速度記録の樹立を目指したのだ。
ラ・ジャメ・コンタント(英語で「決して満足しない」という意味)は見た目に反して空力性能に優れていなかった。車高が高く、ドライバーは車内ではなく車体の上にまたがるように座る構造だからだ。しかし、アルミニウム、マグネシウム、タングステンを混合したパルチニウムという合金製のボディにより軽量だった。

ベルギー人パイロット、カミーユ・ジェナジー氏が操縦したラ・ジャメ・コンタントは、1899年にパリ郊外で約106km/hの速度に達し、100km/hを超える史上初の自動車となった。車名の由来は歴史の闇に消えており、ジェナジー氏の妻が名付けたとする説もあれば、彼自身が考案したとする説もある。












































