メルセデスのマイナー車からプジョー205ターボ16まで フランスが誇る世界最大の自動車博物館 シテ・ド・ロトモビル訪問記(後編) 

公開 : 2026.01.25 11:45

フランス国立自動車博物館『シテ・ド・ロトモビル』には500台以上の車両が展示されています。今回は本館で見つけた歴史的名車や、あまり知られていない奇妙なワンオフモデルなどを一部抜粋して紹介します。

メルセデス・ベンツ170 H(1937年)

ドイツ初の量産リアエンジン車はフォルクスワーゲンビートルではない。1934年にベルリンでデビューした、130という地味なメルセデス・ベンツ車が先駆けだ。この130の後継として、2年後に170 Hが登場した。Hは「ヘックモーター」、つまりリアエンジンを意味する。130より現代的なデザインを採用し、大型で強力な4気筒エンジンを搭載した。

メルセデス・ベンツは170 Hと並行して170 Vという類似モデルも販売した。HはVより若干高価で、わずかに速かったが、そのスタイリングは好みが分かれるものであった(特にメルセデスの特徴的な直立したグリルがなかった)。また、ボディバリエーションの選択肢もVほど多くなかった。

メルセデス・ベンツ170 H(1937年)
メルセデス・ベンツ170 H(1937年)

メルセデス・ベンツは1935年から1939年にかけて170 Hを1507台製造した。対照的に、170 Vは6万7579台と大きな差がついている。第二次世界大戦中、ドイツ軍は民間車両を接収したが、当初はリアエンジン車を好まなかったため、170 Hには関心を示さなかった。

このため中古車市場では170Hがすぐに人気を博し、驚くほど多くの車両が戦争を生き延びた。ただし、大半は傷みが激しかった。戦後は近代的なモデルが普及し、170Hは急速に姿を消していった。現存する車両はごくわずかである。

メルセデス・ベンツ170 H(1937年)
メルセデス・ベンツ170 H(1937年)

シュタイア・タイプ220カブリオレ(1938年)

オーストリアの銃器メーカー、シュタイアは1910年代から1930年代にかけて多様な自動車を製造した。ここで紹介するタイプ220は、直列6気筒エンジン、流線型のボディ、独立式フロントサスペンションを備え、他と一線を画していた。シュタイアのフラッグシップモデルであり、銃器製造と同等の自動車製造能力を持っていることを証明するために開発された、高性能の高級車だ。しかし、第二次世界大戦中にシュタイア工場が爆撃で壊滅したことで生産中止となった。

戦後生産は再開されたが、シュタイアは220の後継車開発を見送った。代わりにフィアット車のライセンス生産を行い、後に受託生産メーカーへと転身した。現在のマグナ・シュタイアは、メルセデス・ベンツGクラスなど複数のモデルを生産している。

シュタイア・タイプ220カブリオレ(1938年)
シュタイア・タイプ220カブリオレ(1938年)

AFGグレゴワール(1941年)

ジャン=アルベール・グレゴワール氏(前編で紹介)はトラクタ閉鎖後も自動車業界から離れようとしなかった。ドネ、シェナール&ワルカー、オチキスなど複数のメーカーで働き、第二次大戦中には密かにこの軽量4人乗り車を開発した。漫画のキャラクターのようなデザインの中に、空冷水平対向2気筒エンジンと独立懸架サスペンション隠している。試作車の重量は400kgで、最高速度は100km/hに達した。

グレゴワール氏は改良を重ね、最終的にパナールに生産を依頼した。次第に形を変え、1948年にダイナXとして発売。1940年代にデザインが進化したが、資料によればグレゴワール氏はそのことに満足していなかったという。しかし、水平対向2気筒エンジンをアルミボディで包み、4人乗りとする彼の基本コンセプトは変わらなかった。

AFGグレゴワール(1941年)
AFGグレゴワール(1941年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    ロナン・グロン

    Ronan Glon

  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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