【意外なコラボ作品】オーテックxザガート マツダxGM ランボルギーニxMTI ほか 後編

公開 : 2020.10.18 16:50  更新 : 2021.03.05 21:33

ランボルギーニ・チーター

ウルスとLM002より以前、1977年にランボルギーニはチーターを発表している。スーパーカー・ブランドとしては、初めてのSUVだった。

アメリカ陸軍による、新しい軍用オフローダーの開発に応えようとしたMTI社からの依頼で、ランボルギーニも開発に加わった。しかし、陸軍の新しいオフローダーは、最終的にはハンビー、後のハマーが選ばれている。

ランボルギーニ・チーター
ランボルギーニ・チーター

ランボルギーニ・チーターでは、信頼性と整備性の理由から、5.9Lのクライスラー製V8エンジンが選ばれた。搭載位置はリア。どちらも、LM002とは大きく異る。

車重は2t近くあり、最高出力182ps程度のエンジンでは力不足。さらに、四輪ともに独立懸架式のサスペンションを採用していながら、リアエンジン・レイアウトによるハンドリングの癖という悩みも抱えていた。

このリアエンジンで四輪駆動というレイアウトは、FMC XR311という別の軍用プロトタイプとも酷似していたことから、模倣疑惑を引き起こす。最終的には訴訟となり、チーター・プロジェクトは休止に追い込まれた。

さらにランボルギーニは、BMWと共同で進めていたスーパーカーのM1の開発も、途中で手を引くことになる。

マニアな小ネタ

タミヤ模型は、ラジコンカーとしてランボルギーニ・チーターとFMC XR311を両方発売。どちらも、リアに電気モーターを搭載している。

マツダ・ロードペーサーAP

1970年代半ば、マツダは日本市場での大型モデルを欠いていた。そこで目をつけたのが、オーストラリアのGM系ブランド、ホールデンのHJプレミアという4ドアサルーン。高額な開発費用をかけ、独自に開発するという手段は選ばなかった。

ホールデンはエンブレムを替え、より上級な仕立てにしてマツダへ輸出した。日本では大排気量エンジンにかかる税金が高く、マツダの希望通りエンジンなしで広島へ届いた。

マツダ・ロードペーサーAP
マツダ・ロードペーサーAP

マツダで組み込まれたエンジンは、13B型というツイン・ロータリー。直列6気筒と同等の馬力を得られたが、低回転域でのトルクが細く、高回転域での使用が求められた。

車重は1600kgほどあり、加速は鈍重。燃費は5.0km/Lに迫るほど悪かった。ロードペーサーAPのAPが、アンチ・ポリューション(低公害)の略というのが、皮肉だ。

約800台を売ったところで、ロードペーサーAPは幕を閉じている。

マニアな小ネタ

一部の情報によると、マツダはGMから無償でHJプレミアを受け取っていたらしい。ロータリーエンジンの技術情報と、引き換えだったという。事実はいかに。

キャディラック・アランテ

キャディラックがメルセデス・ベンツSLのライバルを作ろうと考えた1980年代。ピニンファリーナ社の力を借りることにした。

イタリアのカロッツェリアはデザインだけでなく、オープン2シーターの技術的な開発も任された。キャディラック製の4.1L V8エンジンと、前輪駆動という素材をもとに。

キャディラック・アランテ
キャディラック・アランテ

開発部門のスタッフは、少々病んでいたのかもしれない。完成したボディをイタリアでジャンボジェットに積み、アメリカまで空輸すると決めたのだから。

デトロイトに届いたボディは、サブフレームとエンジン、サスペンションが生産ラインで組み付けられた。パワフルな32バルブのノーススターエンジンを採用するなど、長年改良を続けたが、期待ほど売上は伸びなかった。

マニアな小ネタ

1986年から1993年にかけて、アランテを空輸した3機のボーイング747ジャンボジェット。キャディラックを空輸するためだけに改修された、特別な機体だった。

関連テーマ

おすすめ記事

 

クライスラーの人気画像