「人生最後のリニューアルオープン!」 ときわ台駅前の老舗ホビーストアの話【長尾循の古今東西モデルカーよもやま話:第19回】

公開 : 2026.05.27 12:05

元モデル・カーズおよびカー・マガジン編集長である長尾循による、古今東西モデルカーに関する月イチのコラムです。第19回は、1936年から東京都板橋区の常盤台で営んでいる、ホビーストア『フジヤ』さんの話です。

モダンな郊外型住宅地の面影

東京は板橋の常盤台といえば、東武鉄道の手によって戦前の1936年(昭和11年)から開発、分譲が行われた閑静な住宅街。東武東上線ときわ台駅前のロータリーからは道路が放射状に伸びており、当時のモダンな郊外型住宅地の面影を今に伝えています。

そんな、ときわ台駅北口から徒歩数分の場所にあるのが、ホビーストア『フジヤ』です。もともと浅草で食堂を営んでいたフジヤがこの地に移転してきたのは、常盤台の第一期分譲が始まった直後の1936年のことでした。

ホビーストア『フジヤ』の名物マスターとして知られる藤田宏さん。
ホビーストア『フジヤ』の名物マスターとして知られる藤田宏さん。    長尾循

「私の祖父の代にここに引っ越してきて、お菓子屋を始めたのが始まりです」と語ってくれたのは、フジヤの名物マスターとして知られる藤田宏さん。

「当時からお菓子の他におもちゃなどの商材も置いていました。ちなみに森永製菓の製品を取り扱う『森永エンゼルストア』の第一号店はうちだったと聞いています」というから、『常盤台のフジヤ』はかれこれ90年の歴史を持つ老舗ということになります。

このエリアには戦前から戦中にかけ軍関係の工場などがあったため、やがて太平洋戦争が激しくなると、フジヤの店舗も建物疎開(空襲による火災の延焼を防ぐために建物を強制的に取り壊されること)の対象となりました。

一家の大黒柱もお店も失った状態で迎えた終戦

さらに1943年(昭和18年)に出征した藤田宏さんのお父上は翌年戦死。「私は1943年の生まれなんで、父親の愛ってのを知らないんですよ」という藤田宏さんは、一家の大黒柱もお店も失った状態で終戦を迎えます。

藤田さんはかつては広告関係の仕事につきたいと考えていたそうですが、時代は戦後の混乱期。学校を卒業すると家業を継いで、お菓子とおもちゃの店を再開することとなったのです。

フジヤの玩具コーナー奥にある模型コーナー。
フジヤの玩具コーナー奥にある模型コーナー。    長尾循

「23歳の時からお店をやっているので、自分が関わってからかれこれ60年になります。最初はお菓子売り場の方が大きかったのですが、徐々にその比率は逆転し、おもちゃがメインとなっていきました。

戦後の経済成長とも重なって、1985年頃には現在の2階建ての店舗を建てることができました。その1階は男玩と女玩、2階が全てプラモデルやミニカーなど模型関連の売り場としました」

というわけで、多くの読者諸兄にも馴染み深い現在のフジヤは、この時代に誕生したわけです。

「模型店ですから、もちろん飛行機も船もミリタリーものも幅広く扱いましたが、1980年代半ばから後半にかけて、モータースポーツ系の商材に特に力を入れ始めました」

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    長尾循

    Jun Nagao

    1962年生まれ。企画室ネコ時代を知る最後の世代としてモデル・カーズとカー・マガジンの編集に携わったのち定年退職。子供の頃からの夢「クルマと模型で遊んで暮らす人生」を目指し(既に実践中か?)今なおフリーランスとして仕事に追われる日々。1985年に買ったスーパーセブンにいまだに乗り続けている進歩のない人。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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