【ワークス・ラリーマシンの1台】トライアンフTR4 ほぼノーマルで戦った1962年 前編

公開 : 2021.04.17 07:05  更新 : 2022.11.01 08:55

1962年に選ばれた4戦のラリーイベント

選ばれたイベントは、オランダのチューリップ・ラリー、フランスの山岳コースを走るアルペン・ラリー、欧州数カ国を巡るリエージュ・ソフィア・リエージュ・ラリー、そして英国のRAC(ロイヤル・オートモビル・クラブ)ラリーだった。

ル・マンを走ったTRSでチーフメカニックを務めていたレイ・ヘンダーソンを筆頭に、ロジャー・サイクス、ミック・ムーア、デビッド・シェパードらをエンジニアとして招聘。ワークショップは、英国コベントリー近郊のフレッチャムステッド・ノースに構えた。

トライアンフTR4 ワークスマシン 1962年当時の様子
トライアンフTR4 ワークスマシン 1962年当時の様子

チームの体制が整ったのは、デビュー戦の3か月前。マシン開発に用意された時間は、極めて短かった。

トライアンフTR4の量産は始まっていたが、北米市場への輸出が最優先。右ハンドルでペールブルーのTR4は、通常のディーラーのように生産ラインの切り替わりまで待たされたという。

このペールブルーを選択したのは、ロブソン自身。「オースチン・ヒーレー3000に塗られていた、ワークスカラーのレッドと被るのを避ける必要がありました。広告代理店から写真映えしないといわれ、グリーンもなし」

「白は汚れが目立つので省きました。一部からは、ペールブルーは女性的だという意見も聞かれましたが、無視して決めました」。とロブソンが回想する。

1960年初頭には、モータースポーツの技術水準も上昇。複数のアクスルレシオがレースには不可欠とみなされ、リミテッドスリップ・デフも当たり前の装備になっていた。

ほぼ純正のままで初戦へ挑む

ロブソンがリストアップしたアップグレード内容も、理想に描いたアイテムではなく、現実的に必要なものだった。しかしトライアンフのチームにとっては、まだ夢のリストだったようだ。

TR3まで1991ccだった4気筒エンジンは、TR4ではボアアップされ2138ccへ拡大。だが、2.0L以下のカテゴリーに参戦したいアマチュアドライバーのために、無料オプションとして1991ccのエンジンが提供されていた。

トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)
トライアンフTR4 ワークスマシン(1962年)

恐らく、排気量を増やしたエンジンブロックの準備が遅れていたのだろう。2月中旬にロビンソンへ届けられたラリーを戦う4台にも、2.0Lエンジンが載っていた。

TR4がガレージに届くと、エンジニアは丁寧にクルマをバラし組み直した。しかし、5月までに準備できた希望のアップグレード部品は、軽量なアルミニウム製パネルとアクリル製の窓だけだったらしい。

レーサーとして仕立てられたペールブルーのTR4は、 3 VCと4 VC、5 VC、6 VCというナンバーで登録。最後の1台は事前の試走や予備車両とする前提で、チームとしては3台構成が組まれた。

ロブソンが振り返る。「1961年シーズンは、わたしがジョン・スプリンゼルのコ・ドライバーを努めていました。新しいトライアンフのチームでも、チーム・キャプテンとして彼を指名できて嬉しかったですね」

「彼のアドバイスで、マイク・サトクリフとジャン・ジャック・ターナーの2人もドライバーとして契約。3ドライバー体制を整えています」

この続きは中編にて。

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