【ブラバムとペンスキーへ導いた】祖父のジャガーXK140 モータースポーツへの入口 後編

公開 : 2021.07.24 17:45

名門チーム、ブラバムとペンスキー・レーシングで活躍したニック・グーズ。輝かしいキャリアのきっかけとなった、ジャガーXK140を英国編集部がご紹介します。

圧倒的に強かったペンスキー・レーシング

text:Greg Macleman(グレッグ・マクレマン)
photo:Luc Lacey(リュク・レーシー)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
ブラバムのチームを離れると、ニック・グーズはペンスキー・レーシングへ移籍した。チームでキャリアを積み、1983年にジェネラル・マネージャーへ昇格。5年後にはチームの取締役へ就任する。

彼はボビー・アンサーにマリオ・アンドレッティ、エマーソン・フィッティパルディといった腕利きドライバー向けのインディマシンを、数え切れないほど監修。インディカー・シリーズで通算115勝という、偉業に貢献している。

ジャガーXK140(1956年/英国仕様)
ジャガーXK140(1956年/英国仕様)

ペンスキー・レーシングはインディ500で14勝、年間チャンピオンには11度も輝いた。「ペンスキーのマシンは、世界で最も優れたオープンホイール・レーサーだと呼んでも構わなそうな時期でしたね」

モータースポーツでの活躍に伴い、ニックは英国から15度も渡米する。祖父のハロルドとは疎遠になった。ジャガーXK140は彼の父、ピーターが譲り受け、10年ほど保管。そしてグレーの塗装のまま、1988年にニックのもとへ嫁いだ。

「多くの人によって何度も塗装され、複数の色味のグレーが混ざった状態でした。50色というのは大げさかもしれませんが」。適切な手当が必要だったが、ニックは頼れる人物を知っていた。

「1983年頃、 ブランドフォードにあるガレージ、スミス&ケイブを営むピーター・スミスと出会っていました。ペンスキーのマシンを塗装した状態でフェニックスやラグナセカに持ち込みたいと思い、良さそうなワークショップを探していたんです」

「そこで巡り合ったのがピーター。耐熱塗装やボディワークも可能でした。彼もモータースポーツの経験者だったんです」

祖父が乗っていた通りに残したかった

当初は再塗装程度のつもりで、ピーターのもとへジャガーXK140を持ち込んだニック。ほどなくして作業は膨らみ、内容は細部にまで広がった。「XKを持ち込んで、色の混ざったグレーのボディを整えてもらいました」

「1週間後にクルマが戻ってきた時、ピーターがてレストアしては、と提案してきたんです」。話を聞いたニックは、すぐに賛同した。

ニック・グーズのジャガーXK140のレストア風景
ニック・グーズのジャガーXK140のレストア風景

「シャシーは良好な状態でしたが、ブラスト加工し、エナメルの焼付け塗装が施されました。殆ど雨に濡れることもなく、祖父は分厚くアンダーコートを塗っていましたからね」。掃除はしない人だったらしいが、塗装を剥離したボディにも錆はなかった。

「祖父が乗っていた通りに残したかったので、可能な限り再利用して、もとの部品を残してあります。倹約家で、唯一後付けされたのがフェンダーミラーでした。Cタイプ用のエンジンヘッドや、ディスクブレーキは付いていません」

「カーペットを除いて、あえてオリジナルのままにしてあります。父が魚の残骸は掃除していましたが、カーペットはすべて敷き直しました」

1993年に始まったレストアは、1994年9月に終わった。途中、ニックはレースのマネージメントに忙しかったが、ワークショップへはしばしば顔を出したという。「ピーターは、塗装の研磨などの仕事を割り振ってくれました」

「邪魔したくありませんでしたが、ペンスキーのジェネラル・マネージャーに就いて以来、自分の手を動かすことはなくなっていました。作業したかったんです」

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