【残念?当然?】開発が中止されたクルマ 53選 前編 愛されなかった乗り物たち

公開 : 2021.07.22 10:05

生産開始前に計画が中断されたクルマは数多く存在します。日の目を見なかった残念なモデルを紹介しましょう。

発売を許されなかったクルマ

text:AUTOCAR UK編集部
translator:Takuya Hayashi(林 汰久也)

何十年もの間、自動車メーカーは莫大な資金を新モデルや派生モデルの開発に投資してきたが、生産開始前に計画が中止されてしまうことがある。

理由はさまざまだ。会社が資金不足に陥ったり、市場が変化したり、モデルが過激すぎると判断されたり。あるいは、単にタイミングが遅すぎたために、ショールームに並べる費用を正当化するだけの販売力がないことに気付いただけかもしれない。

開発中止が納得できるモデルもあれば、悔やまれるモデルもある。
開発中止が納得できるモデルもあれば、悔やまれるモデルもある。

デビュー間近にキャンセルされた例は少なくない。わたし達が購入できるはずだったのに、何らかの理由で購入できなかった有名なクルマをご紹介する。

大豆自動車(1941年)

プラスチックボディのクルマが普及するのは1950年代になってからだが、1941年にはヘンリー・フォードが大豆から抽出したとされる農業用プラスチックを使って新型車を作るプロジェクトを進めていたという。

1941年8月に発表された「ソイビーン・カー(大豆自動車)」は、第2次世界大戦中の鉄鋼の配給不足を見据えて開発された。しかし、戦争の影響で自動車の生産が大幅に制限されたため、大豆プロジェクトは中止となったのである。

フォードのソイビーン・カー
フォードのソイビーン・カー

ポルシェ・スチュードベーカー・タイプ542(1952年)

スチュードベーカーのルーツは1852年にさかのぼる。その半世紀後には最初のクルマを製造し、1954年にはパッカード社と合併している。ここから業績は悪化の一途をたどることになるが、1952年にポルシェが衰退を止めるべく、V6エンジンを搭載した4ドアセダンを開発した。

しかし、スチュードベーカーの技術責任者であったジョン・Z・デロリアン(1925~2005)は、このクルマが洗練されておらず、運動性能も悪く、デザインも嫌いであったという。このクルマはプロトタイプの段階で終わってしまい、1963年にはスチュードベーカーは自動車産業から撤退してしまったのである。

ポルシェ・スチュードベーカー・タイプ542
ポルシェ・スチュードベーカー・タイプ542

ボルボ・フィリップ(1952年)

ボルボがPV444の後継車を検討した際、当初はリアホイール・スパッツ、重厚なクロームバンパー、ホワイトウォール・タイヤを装備したかなり過激なものが提案された。

1950年の5月2日(スウェーデンの聖名祝日カレンダーで「フィリップ」の日)に仕様が決定されたことから車名が決まり、22歳のヤン・ヴィルスガールド(1930~2016)がデザインしたフィリップは、ボルボを高級化するための提案であり、全く新しい3559ccのV8エンジンを搭載していた。

ボルボ・フィリップ
ボルボ・フィリップ

このクルマの開発が終盤に差し掛かった頃には、ボルボは高級化しすぎることについて考えを改め、プロジェクトは中止された。現在は、ヨーテボリの博物館で展示されている。

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