【残念?当然?】開発が中止されたクルマ 53選 前編 愛されなかった乗り物たち

公開 : 2021.07.22 10:05

ボルボP179(1952年)

PV444に代わるもう1つの候補がPV179だった。1952年に開発が開始され、再びヤン・ヴィルスガールドがデザインを担当した。

PV444のメカニカルな部分は引き継がれたが、ボディはルーフを除いてほぼ一新された。しかし、このクルマは大きく、重く、不格好なため、生産には至らないと判断されたうえ、唯一のプロトタイプがテスト中の事故で破壊されたことで、寂しいエンディングを迎えた。

ボルボP179
ボルボP179

1950年代のベビー・ベンツ(1953年)

メルセデス・ベンツは、1982年12月にW201 190を発売するまで、何度かエントリーモデルの発売を試みたが失敗に終わった。1953年の取締役会では、170Vよりも15〜20%安価なモデルの開発が承認されたが、1958年にダイムラー社がアウトウニオンを買収したため、このプロジェクトは中止された。

役員たちは、小型のメルセデスが大型のDKWと競合することを指摘し、不要な重複を避けようとしたのだ。

ベビー・ベンツ
ベビー・ベンツ

フォルクスワーゲンEA-48(1953年)

1959年に発売されたオースチン・ミニは、現代のコンパクトカーの基礎を築いたという点で、正当な評価を受けている。しかし、フォルクスワーゲンはそんなライバルをほぼ完全に打ち負かしてしまった。

ビートルの販売が伸び悩んでいた1953年、フォルクスワーゲンは「600」と仮称されたコンパクトカーの開発に着手した。1954年には試作車のテストを開始している。

フォルクスワーゲンEA-48
フォルクスワーゲンEA-48

社内ではEA-48のコードネームで呼ばれていた600は、ビートルとの共通部品はほとんどない。ユニボディ構造、フロントマウントのエンジン、前輪駆動、マクファーソン式フロントサスペンションを採用していた。エンジンは、ビートルのフラット4を半分にカットしたような、排気量600ccで18psのフラットツインを搭載していた。

フォルクスワーゲンのボス、ハインツ・ノードホフ(1899~1968)は、1956年にエンジニアにこのプロジェクトの中止を命じた。当時、ビートルの販売はようやく軌道に乗り始めていたが、ノードホフは2番目のモデルが兄弟車の影に隠れてしまうことを恐れていた。

メルセデス・ベンツ600(1960年)

戦後の世界にメルセデスの名をとどろかせたのは、「グローサー」である。1963年の市販開始時には、スタンダードホイールベースとロングホイールベースの2種類が用意されていた。

しかし、何かが間違っていたら、このような形になっていたかもしれない。象徴的な縦型ヘッドライトは、どちらかというと米国チックなデザインになる可能性があったのだ。幸い、メルセデスはこのデザインを採用せず、600の市販モデルではよりドイツ的なスタイリングを採用した。

メルセデス・ベンツ600
メルセデス・ベンツ600

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