【残念?当然?】開発が中止されたクルマ 53選 後編 愛されなかった乗り物たち

公開 : 2021.07.22 10:25

生産開始前に計画が中断されたクルマは数多く存在します。日の目を見なかった残念なモデルを紹介しましょう。

垣間見えるメーカーの苦悩

text:AUTOCAR UK編集部
translator:Takuya Hayashi(林 汰久也)

何十年もの間、自動車メーカーは莫大な資金を新モデルや派生モデルの開発に投資してきたが、生産開始前に計画が中止されてしまうことがある。

理由はさまざまだ。会社が資金不足に陥ったり、市場が変化したり、モデルが過激すぎると判断されたり。あるいは、単にタイミングが遅すぎたために、ショールームに並べる費用を正当化するだけの販売力がないことに気付いただけかもしれない。

デビューしていればファンに受け入れられ、ブランドの命運を好転させたかもしれないモデルもある。
デビューしていればファンに受け入れられ、ブランドの命運を好転させたかもしれないモデルもある。

デビュー間近にキャンセルされた例は少なくない。わたし達が購入できるはずだったのに、何らかの理由で購入できなかった有名なクルマをご紹介する。

アマティ(1993年)

クルマではなく、ブランド全体が廃止されてしまった一例だ。

トヨタレクサスホンダアキュラ日産インフィニティを展開している。マツダも負けじと、アマティという独自の高級ブランドを立ち上げ、1993年に米国で発売する予定だった。しかし、マツダはコストに見合わないことに気づき、マツダのバッジを付けたセドス6とセドス9が発売されたのである。

アマティ
アマティ

ポルシェC88(1994年)

1990年代の中国では、海外の自動車メーカーに中国市場を意識した新型車の開発を奨励していた。そこでポルシェは、低価格の小型セダンC88をわずか4か月で開発し、1994年の北京モーターショーで発表した。

しかし、中国の自動車メーカーがC88のアイデアを無償で使用したため、ポルシェは開発に対して何の見返りも得られなかった。その結果、C88のプロトタイプはたった1台しか作られなかったのである。

ポルシェC88
ポルシェC88

ランボルギーニ・カーラ(1995年)

ランボルギーニは、1994年までクライスラーの傘下にあったが、その後メガテック社に売却された。資金に困っていたイタルデザインは、ランボルギーニのジュニア・スーパーカー、カーラ(Cala)を開発した。

ミドマウントされた4.0L V10を搭載するカーラは、性能的には十分であり、市販化に向けた作業が進められた。

ランボルギーニ・カーラ
ランボルギーニ・カーラ

しかし、作業はなかなか進まず、1998年にランボルギーニがフォルクスワーゲンに売却されると、カーラは単なる博物館の展示品となってしまった。

マツダMX-6コンバーチブル(1995年)

あまり知られていないが、1995年頃に米国市場向けに製作されたマツダMX-6のドロップトップモデルである。

マツダとは別のASC社が制作したものであることは間違いなく、評価用のプロトタイプが1台だけ作られたものと思われる。もし、このワンオフ車が実現していたら、上質な4人乗りのオープンカーとしてラインナップを飾っていただろう。

マツダMX-6コンバーチブル
マツダMX-6コンバーチブル

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