誰も知らないスーパーカー 50選 後編 ひっそりと消えた不運な珍車・名車

公開 : 2021.11.27 06:25

誰もが夢見るスーパーカー。ですが、世の中には脚光を浴びることなく消えていったモデルが数多く存在します。

ローテックC1000(1995年)

1990年代初頭、多くのスーパーカーが市場に登場する中、ある石油王は他の誰も手に入れることができないものを所有したいと考え、メルセデスにワンオフのハイパーカーの製作を依頼した。

メルセデスは、スーパーカーのスペシャリストであるローテックに、それに見合った速いクルマを作ってほしいと依頼し、生まれたのがC1000である。C1000は、メルセデス製の5.6L V8ツインターボエンジンを搭載し、車名の由来となった1000psを発揮する。

ローテックC1000(1995年)
ローテックC1000(1995年)

最高速度は430km/hと言われていたが、実際には検証されていない。しかし、レース仕様のシャシーとカーボンファイバー製のボディシェルを備え、名前から想像される以上にハイテクなマシンとなっていた。

スペクターR42(1995年)

GTディベロップメント社は、フォードGT40を美しく再現したことで知られていたため、 R42を開発したときも高い評価を得た。しかし、たった1台の試作車が作られただけで同社は倒産し、プロジェクトは米国のスペクター社に売却された。

4.6LのクアッドカムV8を搭載したこのクルマは、ディテールが不十分だったとしても、確かにそれらしく見えた。スペクターは年間200台の生産を目標にしていると豪語していたが、実際には23台にとどまり、結局倒産してしまった。

スペクターR42(1995年)
スペクターR42(1995年)

TVRセルベラ・スピード12(1996年)

1996年のバーミンガム・モーターショーでプロジェクト7/12として発表されたこのマシンは、7.7L V12エンジンを搭載し、最高出力890psを誇る世界最速の公道仕様車になることを目指していた。当初はGT1向けのレースマシンとして計画されたが、公道走行も可能であったため、1998年に「スピード12」と改称された。

しかし、レースのレギュレーションが変わり、TVRの経営陣はスピード12は公道では速すぎると考えた。1000kgの車重と適切なセッティングがあれば、380km/h以上のスピードを出すことが可能とされていたが、TVRは未熟なドライバーに売るつもりがなかったため、このプロジェクトは露と消えた。

TVRセルベラ・スピード12(1996年)
TVRセルベラ・スピード12(1996年)

日産R390(1997年)

R390は、日産がル・マン24時間レースでの優勝を目指していたことから生まれた。プロジェクトがスタートした当時、日本車でル・マンを制したのはマツダだけだった。

しかし、日産はル・マンを制覇することはできず、市販用のR390は1台しか作られなかった。3.5L V8ツインターボを搭載し、最高出力650ps、最高速度354km/hを発揮するこの個体は、現在も日産が所有している。後にジャガーのデザイン担当となるイアン・カラムも開発に携わった。

日産R390(1997年)
日産R390(1997年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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