【F80が出た今こそ振り返りたい】 F40、F50、エンツォなどフェラーリ・スペチアーレ・ヒストリー

公開 : 2024.10.19 12:45

フェラーリ・スペチアーレ最新作、F80が発表されました。フェラーリはその資料で(288)GTO、F40、F50、エンツォ、ラ フェラーリを歴代モデルとしてピックアップしています。元フェラーリ専門誌編集長の上野和秀が、その5台を振り返ります。

1984年フェラーリGTO

フェラーリ・スペチアーレ・モデルの起点となったのは、1984年に登場した(288)GTOだ。GTOはFIAが制定した新車両規定のグループBクラスの公認を得るために製作されたホモロゲート・モデル。限定車ということから発表と共にコレクターからオーダーが殺到し、義務生産台数の200台を大幅に超える272台が生産された。参加するレースが開催されず闘う場を失うが、コレクターズカーという新たな市場を切り開いた。
●90度V型8気筒DOHCターボ
2855.08cc、400hp/7000rpm、1160kg、305km/h

1984年フェラーリGTO
1984年フェラーリGTO    フェラーリ

1987年フェラーリF40

フェラーリ社設立40周年を記念して送り出されたのがF40である。ル・マン24時間レース参戦も画策しF40LMとも称され、エンツォ・フェラーリが発表会に参列した最後のモデルでもある。GTOの発展型として製作され、剛性を高めるためコンポジットパーツがフレームに接着。レーシングマシンを思わせるスタイリングが大きな反響を呼んだ。折からの世界的なバブル景気もあり最終的に1311台が送り出された。
●90度V型8気筒DOHCターボ
2936cc、478hp/7000rpm、1100kg、324km/h

1987年フェラーリF40
1987年フェラーリF40    フェラーリ

1995年フェラーリF50

F40に続くスペチアーレの第3弾がF50だ。その名とおり創立50周年を記念した限定車で、量産したF40の反省から349台の限定車とされた。「公道を走るF1」と謳われ、カーボンモノコックやサスペンション、シャシーの構造材として使用されるノジュラー鋳鉄のシリンダーブロックなど、F1マシン直系のテクノロジーが投入された。昨今のオークションでは、究極のエンジン車としてプレミアムモデルの最高値を記録している。
●65度V型12気筒DOHC
4698cc、520hp/8500rpm、1230kg、325km/h

1995年フェラーリF50
1995年フェラーリF50    フェラーリ

2002年エンツォ・フェラーリ

スペチアーレの4作目は、創始者であるエンツォ・フェラーリの名が与えられ、399台の限定車とされた。エンツォ・フェラーリの哲学を直接受け継いだルカ・ディ・モンテゼーモロが采配を振り、その名に恥じぬF1直系のテクノロジーで構成された。スペチアーレとして初の2ペダルでパワーステアリング、そして操安デバイスが採用され、誰にでも乗れる仕立てとされた。デザインは当時ピニンファリーナに在籍していた奥山清之氏が担当した。
●65度V型12気筒DOHC
5998cc、660hp/7800rpm、1255kg、350km/h

2002年エンツォ・フェラーリ
2002年エンツォ・フェラーリ    フェラーリ

記事に関わった人々

  • 執筆

    上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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