クジラがあだ名 アルファ・ロメオ 8C 2900B「バレーナ」(1) スタイリングは巨匠コロンボ

公開 : 2025.05.09 18:05

アウトストラーダで219.5km/hに到達

予備に保管されていた、8C-2900のロングシャシーをベースに製作はスタート。ボディが架装され、ミラノから北のコモへ続いていた、アウトストラーダで走行テストにかけられた。車重1130kgのアルファ・ロメオは、5300rpmで219.5km/hに届いたようだ。

この1941年のテスト現場には、たまたまイタリアを訪れていたルーマニアのミヒャエル国王も姿を表した。主任技術者だったウィフレド・リカルト氏のドライブで高速走行を楽しんだだけでなく、自らステアリングホイールを握ることも提案されたらしい。

アルファ・ロメオ 8C 2900B コルサ・スペリメンターレ「バレーナ」(1941年式/ワンオフモデル)
アルファ・ロメオ 8C 2900B コルサ・スペリメンターレ「バレーナ」(1941年式/ワンオフモデル)    ジェームズ・マン(James Mann)

記録によれば、まだ19歳だった国王は、新しいアルファ・ロメオの性能に感動。カロッツェリアのトゥーリング社製サルーンボディをまとった、8C 2900をその後に注文したという。シャシー番号は、41039だった。

ところが、航空工学に関心を寄せていた若き王は、サルーンの性能には落胆したらしい。軽くないボディが、動的能力に大きな影響を与えていたのだろう。コルサ・スペリメンターレのような、鋭い走りを期待していたに違いない。

アルゼンチンでレースへ グリルやライトを交換

第二次大戦に敗北したイタリアは、暗闇の時代へ。アルファ・ロメオは政府から業務を請ける一方、コルサ・スペリメンターレは連合軍の目につかないよう、倉庫へ隠され生き延びていた。同社の工場は爆撃され、社会は荒廃。近々の収入が必要な状態だった。

高価なスポーツカーが売れる市場として、注目が向けられたのは南アメリカのアルゼンチン。2台の8C 2900の輸出が決まり、密かに保管されていたシャシー番号412043のコルサ・スペリメンターレも、一路ブエノスアイレスへ運ばれた。

アルファ・ロメオ 8C 2900B コルサ・スペリメンターレ「バレーナ」(1941年式/ワンオフモデル)
アルファ・ロメオ 8C 2900B コルサ・スペリメンターレ「バレーナ」(1941年式/ワンオフモデル)    ジェームズ・マン(James Mann)

続いて、1947年のイタリア・ミッレ・ミリアで優勝を飾った、トゥーリング社製ボディのクーペも届けられている。シャシー番号は、412036だ。

コルサ・スペリメンターレは、走行テストを終えたまま保管されており、ほぼ新車状態にあった。購入したのは、アマチュアレーサーだった富裕層、カルロス・ペレス・デ・ヴィラ氏。レースに備え、ボディには細かな変更が加えられた。

縦長だったフロントグリルは、当時のF1マシン、アルフェッタ風の凸型へ。そこにスポットライトが内蔵された。ヘッドライトは一般的な円形へ交換され、これもフェンダーの前方へ埋め込まれた。

フロントガラスは、ドライバー側だけの小さな1枚モノへ置換。リアタイヤを覆ったスパッツは、交換作業を考え外されたようだ。

この続きは、アルファ・ロメオ 8C 2900B「バレーナ」(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ミック・ウォルシュ

    Mick Walsh

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジェームズ・マン

    James Mann

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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