125年前の1600kmレースで完走 ウーズレー3.5hp ヴォワチュレット(1) 重要な生き証人

公開 : 2025.11.16 17:45

125年前の英国で開かれた、新たな移動手段を理解させるための1600kmレース 完成度が高かった「OWL」 独自開発の1.3L単気筒エンジン ウーズレー最初の四輪車を、UK編集部がご紹介

1600kmレースを完走したウーズレー3.5hp

僅か1年の差とはいえ、1800年代に作られたクルマの運転は感慨深い。ウーズレー3.5hp ヴォワチュレットは、1899年式。英国ではビクトリア女王が即位した年で、日本は日露戦争前の明治時代だった。

その時すでに、一部の英国人は馬が引かないクルマに乗り、下り坂なら40km/hで移動できた。翌年の1900年には、1000マイル(約1601km)を走る1000マイル・トライアルが開かれ、3.5hp ヴォワチュレットは完走している。

ウーズレー3.5hp ヴォワチュレット(1899年式)
ウーズレー3.5hp ヴォワチュレット(1899年式)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

マニアの間では、このウーズレーはナンバーにちなんで「OWL」と呼ばれ親しまれてきた。1900年のレースへ出場したクルマは2台が現存し、これはその1台に当たる。

現在は「ロンドン・ブライトン・ベテランカー・ラン」へ名前を変え、コースも違うが、2025年は記念すべき125周年。OWLはロンドンの中心、ハイドパークから先頭を切って出発する予定にある。このクルマにとって、40回目の南岸への冒険だという。

新たな移動手段を理解させるためのイベント

OWLは重要な生き証人で、クルマを市民へ普及させた、貢献「車」の1台でもある。当時の英国では、クルマに対して懐疑的な考えが浸透し、技術的な進化を阻んでいた。

ロイヤル・オートモービル・クラブ(RAC)の現会長、ダンカン・ウィルシャー氏は「1000マイル・トライヤルの重要性は、巨大なものでした。クルマの実用性と喜びを、広く認知させたのです」。と発言している。

ウーズレー3.5hp ヴォワチュレット(1899年式)
ウーズレー3.5hp ヴォワチュレット(1899年式)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

19世紀の終わりに、遠くへ移動する自由を多くの人へ与える新たな手段を理解させるには、思い切った取り組みが必要だった。郊外に住む殆どの人は、クルマを目にしたことすらなかった。1895年の英国には、約30台しか存在していなかったのだ。

1900年には750台前後へ増えたものの、馬車の方が遥かに多かった。そこで自動車業界を巻き込んで提案されたイベントが、国内を巡るレースだった。

11日間に及んだハードなスケジュール

自動車黎明期でありながら、内容はなかなかハード。スケジュールは11日間に及び、タイム制限があり、ヒルクライムコースが4つも含まれ、過去にない規模といえた。

ルートはロンドンを出発し、南西部のバースやブリストルに寄り、北上してバーミンガムやマンチェスターを経由し、エディンバラに到達。そこから南下し、ニューカッスル、シェフィールド、ノーザンプトンを巡り、ロンドンへ戻るもの。

ウーズレー3.5hp ヴォワチュレット(1899年式)
ウーズレー3.5hp ヴォワチュレット(1899年式)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

参加カテゴリーは、自動車メーカーとプライベーターの2つ。車両価格に応じて、それぞれクラス分けもされた。

毎年のようにクルマの性能は向上し、1日に160km、馬車の3倍の距離を走ることも現実的になっていた。そして好奇心旺盛な英国人は、クルマを見たいと思っていた。有力なPRイベントになることは、明らかだった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ウーズレー3.5hp ヴォワチュレットの前後関係

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