ホンダSシリーズの生き証人(後編) トヨタに勝て!の指令 そして語られるRSCとヨシムラの関係性
公開 : 2026.02.14 12:05
ホンダツインカムクラブは、『“元RSC”の木村さん、大いに語る!』と題した講演会を開催しました。引き続き。ホンダSのレース仕様開発にも尽力されたエンジニア、木村昌夫さんのコメントを中心に当時を振り返ります。
本来の目的は『トヨタに勝て』
木村さんが当時所属していた総務からRSC(現HRC)への移籍を持ちかけられたのは、1965年の11月末から12月ぐらいだったという。1965年10月に準備を開始し、1966年2月に設立されたRSCについて、中村良夫さんのご自宅で話を伺うことになった。
ちなみにRSCのマークは、N360のデザイナーである宮地栄之助さんがデザインを担当したそうだ。

「サーキットを作り、スポーツカーも作って、でもそれを対応するところがありませんでした。レーサーはSF(ホンダのサービス工場)にあふれ、鈴鹿や白子のSFには普通のお客さんが入れなくなっていたんです。そこでレーサーなどをメンテナンスするところを作ろうと。これが元々のスタートらしいです」
一時はレーシングスクールなども企画されたようだが、本来の目的である『トヨタに勝て』、『向こうはワークスだからお客さんに勝たせろ、勝てるようにしなさい』というスタート時の指示を目指し、木村さんも1966年1月から転籍。
当初、『トヨタに勝て』と言われても相手は手強く、そもそもこちらがどのくらいの力か分からなかった。
「S800のサスペンションだけ作り、エンジンは何もしないで走らせるところから始め、そこから少しずつ速くなるようにしていきました。最初は300kmレースなどで上位に入り、クラス1等を取ったりもしたんですが、鈴鹿1000キロかな、2台出したら2台と見事にベアリングが壊れて発電機が飛び出しちゃって、ラジエーターを壊したのを覚えていますね」
なお、「ベアリングが壊れて発電機が飛び出した」という部分を補足すると、クランクシャフトのベアリングが壊れて、コンロッドが折れ、それがシリンダーブロックを突き破って発電機をはたき落とし、一端はケーブルでつながっている発電機がエンジンルーム内で暴れてラジエーターに穴を開けることとなり、オーナー間では有名な話とのことだ。
同じような活動をしていたRSCとヨシムラ
当時RSCはホンダ車のチューニングやレース活動をしていたが、同じような活動内容の『ヨシムラ』との関係はどうだったのか。
「吉村(秀雄)さんは独特の考えで個性の強い方だから、サラリーマンとは合わないところがあったんでしょうね。ほんの一瞬ですけど(ホンダからの)部品が止まったんです。これは事実です。

特に車体のバネとかはまだ作れなかったので、それを何セットかテストで使ったふりをして外して廃却したんです。当然廃却部品だから誰が持って行ってもいい。そうして3セットくらい渡しました。そのうち、(供給を)止めた方が転勤になったので、また元通りに部品供給が始まりました」と、基本的には良好な関係だったことを明かす。
それはホームサーキットの違いもあったようだ。
「吉村さんはまだバンクのある時代の富士スピードウェイでやっていましたから、高速度重視だったんですね。しかも富士スピードウェイは上りが少ないんです。だからここで速くするためのチューニングを吉村さんはしていたんです」
一方RSCのホームは鈴鹿だ。
「まず壊れないことが大事。『限られた費用でみんなが楽しむ』という考え方が、まず吉村さんとは違う。鈴鹿は約6kmのうちだいたい4kmが上りなんです。ここをどう速くするかが一番ポイント。特に、遅いスピードのところからの立ち上がりの加速を速くしないと競争に勝てないので、そこを目指してずっとやっていた。これが吉村さんとの違いです」















































