ブリストル412 プロトタイプ(1) ザガートが作った「つなぎ」のオープンGT 計画が順調なら誕生せず

公開 : 2026.05.16 17:45

411と603のつなぎ役として誕生した、ザガート・デザインの412。四角いボディに6.6L V8エンジンを載せた、生産61台のオープンGTでした。その貴重な試作車と裏話へ、UK編集部が迫ります。

計画が順調なら誕生しなかった412

計画が順調なら、ブリストル412は誕生しなかった。ブリストル411の後継モデル、600がリリースされていたはず。グレートブリテン島南西部のブリストル市が、英国王室へ都市として承認されてから600周年という、記念すべき1973年に。

また同年は、トニー・クルック氏がブリストル・カーズの経営を掌握した時でもあった。正規ディーラーの1社を営んでいた彼が、同社と深い関係を持つようになったのは、1960年。創業者のジョージ・ホワイト氏と、提携契約書を交わしたのが発端だった。

ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)
ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

それから5年後、投資計画の見直しを機に、彼はブリストル唯一のディーラーとして、自身が営むアンソニー・クルック・モーターズを指定。1969年に深刻な交通事故へ巻き込まれたホワイトは完全に手を引き、ブリストル・カーズは再編された。

傘下のザガートが作った「つなぎ」のクルマ

412は、ブリストル・カーズをオープン・グランドツアラー市場へ参入させるべく、開発されたと考えられている。だが、生産工場で主任マネージャーを務めたジェフ・マーシュ氏は、「411のシリーズ5が、15台ほど売れ残っていました」と当時を振り返る。

「600の設計は進んでいましたが、開発を主導したクルックさんは1年も計画を延期していました。つなぎのクルマが必要になり、取引きのあったザガートに、すぐの対応を約束していただいたんです」

ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)
ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

ブリストル・カーズは、1959年からイタリア・ミラノのカロッツェリア、ザガートを傘下に収めていた。チーフデザイナーとして、412のスタイリングを手掛けたジュゼッペ・ミッティーノ氏は、その頃を断片的に覚えている。

「既存のブリストルを、コンバーチブルに作り変えるアイデアは決まっていました。そこでランチアBMWのように、部分的なキャンバストップを提案したのです」

靴箱を2つ重ねたような四角いボディ

ブリストルの主任デザイナー、ダドリー・ホッブス氏らは、ザガートの初期案へ衝撃を受けた。従来の有機的な造形と異なり、全長が5.5m近くあったからだ。そこで、英国の一般的なガレージへ収まるサイズへ、縮小を求めたという。

クルックは、約5mへ短くなったボディへ納得したようだが、ホッブスは四角いスタイリングへ不満を抱いていた。靴箱を2つ重ねたようだと、漏らしていたらしい。それでも、ボーファイターとボーフォートへ、このボディは受け継がれるが。

ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)
ブリストル412(プロトタイプ/1973年/英国仕様)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

今回ご登場願った412は、最終的なスタイリングが確認されたクルマそのもの。ミッティーノは、シャシー番号7716434Zのこれが、唯一のプロトタイプだと認める。

量産仕様と比べると、フロントまわりの角度が直立しており、給油口の位置も異なる。リアフェンダーの処理や、ドア開口部の形状、ホイールアーチの造形など、僅かな違いも観察できる。しかし、基本的な印象に大きな違いはない。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・チャールズワース

    Simon Charlesworth

    英国編集部
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ブリストル412 プロトタイプの前後関係

前後関係をもっとみる

関連テーマ

おすすめ記事