ホンダ英国スウィンドン工場閉鎖 真の理由は? 専門家に聞くその原因

公開 : 2019.04.20 11:50

販売戦略

1980年代後半から1990年代初頭にかけてのホンダが、いかに高い人気を誇ったか覚えておいでだろうか? 素晴らしいスポーツカーNSXと、V6ターボとV12自然吸気エンジンを擁してF1で無敵を誇ったマクラーレン・ホンダ、さらにはローバーとのパートナーシップによって、ホンダは欧州市場に強固な足掛かりを得ることに成功していた。

1990年当時、日産の37万1000台、トヨタの34万台、そしてヒュンダイの1万8000台に対して、欧州市場におけるホンダの販売台数は15万5000台というものだったが、1992年に欧州向けアコードがデビューし、スウィンドン工場がオープンすると、着実に販売台数は増え、1998年には22万5000台を販売している。

だが、この間も決してすべてが順調だったわけではない。BMWがローバーを買収し、ヒュンダイのようなライバルメーカーが急速に力をつけ始めるとともに、当時のホンダは10年前に自社製ディーゼルエンジンの生産を中止していたことから、ローバーからこのエンジンを調達する必要があった。

それでも、真のターニングポイントと言えるのは2000年であり、この年、欧州販売台数でホンダはヒュンダイに逆転されている。

2003年、ようやくホンダから優れたエンジニアリングをほどこされたi-CDTIディーゼルエンジンが登場しているが、この年までに、ヒュンダイには年間の欧州販売台数で10万台の差をつけられ、市場は日産とトヨタが席捲していた。

ディーゼル販売とSUV人気によって、2007年、ホンダの欧州販売台数は過去最高となる31万3000台を記録しているが、2008年には、リーマンブラザーズの破綻に端を発する金融危機が発生したことで、ホンダも守りを固めざるを得なくなった。

かつてホンダで働いていたという人物は、「ホンダというのは非常に独立志向の強い企業であり、経営陣はいかなる救済案も拒否していました。しかし、その結果は、いかにこの会社が危機に対して脆弱かということを示すものでした。結局、彼らが選択したのは、スウィンドンの第2ラインの閉鎖というものだったのです」と話している。

スウィンドンの生産能力を15万台へと削減したことで、良い結果が生まれることは決してなかった。「効率的な生産を行うために必要な最低の生産台数は25万台前後です」と、アストン・ビジネススクールで産業戦略を担当するデビッド・ベイリー教授は話す。

以来、ホンダの欧州販売は安定的な(内部情報筋によれば「なんとか安定させている」状態だという)減少傾向にあり、2017年から18年にかけての販売台数は14万~15万台と、欧州販売を開始した1990年とまったく同じ水準にまで落ち込んでいる。

実際、スウィンドンがもっともその影響力を発揮していた2001年の第2工場オープン当時、ホンダでは、英国市場だけで年間販売目標を15万台に引き上げることを真剣に議論していた。だが、経営側はこの案を拒否し、スウィンドンに必要なだけの強固な販売ベースを欧州に作り上げることを選択したという。社内では英国販売に自信を深めていたものの、経営層が右ハンドルモデルの供給量増の要望に対して、首を縦に振ることはなかった。

「ホンダでは販売台数を追いかけることを拒否した結果、ヒュンダイのようなライバルメーカーが勢いを増している英国市場の大部分を諦めることになったのです」と、ある内部情報筋は話している。

2007年、英国市場としては過去最高となる10万6000台を販売したものの、その後、ふたたび5万3000台程度にまで減少しており、その結果、ラインナップの縮小を招いたことで、現在英国市場に残されているのは、ジャズ、シビック、HR-VとCR-Vの主力4モデルに加え、ハイブリッドスーパーカーのNSXと、ホットハッチのシビック・タイプRだけとなっている。


ホンダ・モーター・ヨーロッパで上級副社長を務めるトム・ガードナーは、ホンダの業績は堅調だと強調する。「過去5年間、ホンダは英国市場で2%を越える一定のシェアを確保しており、素晴らしい顧客満足度を誇る強固なディーラーネットワークとともに、英国で確固たるプレゼンスを確保しています」

しかし、内部情報筋と業界の専門家は、ホンダの失敗のひとつに、モデル戦略のまずさをあげている。

2002年、5+2シーターSUVのパイロットが登場しても英国市場には導入されず、ニッチモデルのシビック・ツアラー・エステートやハイブリッドモデルは、常にラインナップに存在していたわけではなく、すべてのメーカーにとってディーゼルモデルが必須アイテムだったときに、ホンダのディーゼルへの対応は遅々として進んでいなかった。

さらに、ストリームとその後継モデルであるFR-Vが顧客基盤を作ることに成功したにもかかわらず、ホンダは代替モデルを準備することなくMPV市場から撤退しており、せっかくのホンダのコアなファンたちをガッカリさせている。

「基本的に、ホンダは欧州市場に対する判断を誤ったのであり、現地生産を正当化するだけの販売数量が確保できていないだけなのです」とベイリー教授は指摘している。

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