滑らかに収束する美形 ジャガー2.4 異なる方向性のシトロエンID 1955年生まれの個性派(1)
公開 : 2025.12.21 17:45
1955年発表の個性的なサルーン 定評を高める設計と製造水準にあったジャガー2.4 天から舞い降りたように美しいシトロエンID 異なる方向性を持つ同期の2台を、UK編集部が振り返る
1955年に発表された2.4(Mk1)とDS
1955年10月19日のロンドン・モーターショー。優雅な容姿と魅惑的な走りを両立するサルーンを求めた富裕層は、2ブランドのブースを何度も往復したことだろう。
ジャガーで人だかりができていたのは、後にMk1と呼ばれる2.4。シトロエンでは、DSの周りだった。今回は、アンドリュー・ゲスト氏の1957年式とレグ・ウィンストン氏の1959年式で、当時の熱気をイメージしてみたい。後者は、廉価なID 19だが。

1952年に100万ポンドもの巨額を投じ、「ユタ」プロジェクトを始動させたジャガー。安価・小柄なモデルを擁することで、市場シェアの拡大と販売の安定化が狙われた。グレートブリテン島中部、ブラウンズレーンに構える生産工場の活用も目的だった。
スタイリングを担当したのは、ジャガー創業者のウィリアム・ライオンズ氏。前がコイルスプリングを用いた独立懸架、後ろがリーフスプリングにパナールロッドを備えたリジットのサスペンションは、技術主任のウィリアム・ヘインズ氏がまとめた。
定評を高める完全な設計と製造水準
発表時に、「最高のモノだけ所有するこだわりを、表現できるクルマ」だとジャガーは主張。エンジンは4気筒のアイデアが却下され、2483ccの直列6気筒が選ばれた。
スポットライトが当たるショーのブースには、ルーカス社製フォグランプやフロントガラス・ウォッシャー、リアのアームレスト、ヒーター、タコメーター、シガーライターなどを備えた特別仕様の2.4が展示された。価格は、1298.15ポンドだった。

装備を簡略化した仕様も用意されたが、売れたのは計14台。29.15ポンドを浮かせて、ボンネットのジャガー・マスコットすら載らない2.4を選んだ人は、殆どいなかった。
当時の専門誌、モーター誌は「一流の定評を一層高められる、完全な設計と製造水準」だと高く評価した。シルクハットを被って運転できないことを、指摘してはいるが。
水滴のように滑らかに収束するフォルム
1955年の英国人の平均給与は、10.17ポンド。2.4は安くないサルーンだったが、週末にグッドウッド・サーキットを楽しみたいと考える弁護士には、手に届く範囲だった。真紅の2.4を見れば、そんな紳士へ好まれたであろうことを、容易に想像できる。
1959年にマイナーチェンジを受け、クラシック・ジャガーとして定番の1台、Mk2へアップデートされる。しかし、ゲスト氏の前期型、2.4でも訴求力に不足はない。リアフェンダーのスパッツが、穏やかで美しい容姿を引き立てている。

リアトレッドは狭く、軽快な操縦性を生んだが、斜め後方からの印象は少しか細い。同時に、水滴のように滑らかに収束するフォルムは、最大の魅力ともいえるだろう。
車内は、紳士が好む書斎のよう。上級モデル、ジャガーMk VIIに並ぶ豪華さが追求されていた。中央へメーターとスイッチ類がまとめられたダッシュボードと、4スポークのステアリングホイールがエレガント。戦前のSSジャガー100との繋がりを、実感させる。































































































































