可憐なマドモアゼル シムカ・アロンド・プラン・シエル(1) 身も心も満たされる体験?
公開 : 2025.12.20 17:45
フランス最大の民間自動車メーカーだったシムカ フィアットの技術を利用したアロンド 写真以上に美しい実物 変速で古い4気筒と実感する細いトルク UK編集部が希少なクーペをご紹介
フィアットの技術を利用したアロンド
フルコースのフレンチのように、身も心も満たされる体験のクルマもあれば、見た目だけで印象に残らない例もある。フランスのコーチビルダー、ファセル社が製造まで担ったシムカ・アロンド・プラン・シエルは、どちらに当てはまるだろう。
フランス流の美しさにアメリカンな趣が融合した、小さな2+2のクーペは、1年のベストシーズンといえる数か月を堪能するために作られた。その味わいは、フランスの自動車史と量産に至る背景を理解するほど、深みを増すといえる。

イタリア・トリノ生まれのアンリ・テオドル・ピゴッツィ氏が率いたシムカは、フランスで1934年にフィアット508 Cのライセンス生産を開始。規模を拡大していった。
1951年には、フィアットの技術を流用した独自モデル、アロンドが生み出される。当時は高品質なプジョーと技術力に長けたシトロエンの、中間に位置するような自動車メーカーといえ、整った見た目に完成度の高いパワートレインが評価を集めた。
フランス最大の民間自動車メーカーだった
先進的なモノコック構造を採用したアロンドは、2度の改良で9型から90A型、P60型へ進化。一時的に、フランス最大規模の民間自動車メーカーへ、シムカを牽引した。マーケティングも功を奏し、輸入関税が上乗せされた英国でも、好調に売れている。
サルーンだけでなく、2ドアのクーペやステーションワゴン、ピックアップトラックへとバリエーションは広がり、1964年の生産終了までに140万台以上を販売。今回ご紹介するクーペ、1957年のプラン・シエルも派生モデルの1つとなる。

並行して売られたカブリオレのオセアーヌは、シトロエンDS デカポタブルより遥かに安価なオープンモデルで、シムカの知名度を効果的に高めた。価格はサルーンの約2倍で、売れ行きは低調だったが。
この起源を遡ると、1948年のシムカ・スポーツに辿り着く。ピニンファリーナ社を創業したバッティスタ・ファリーナ氏の甥が営んだ小さなコーチビルダー、スタビリメンティ・ファリーナ社へ開発が依頼された、カブリオレだ。
ブリジット・バルドーを利用したPR戦略
スタイリングを描き出したのは、ジョヴァンニ・ミケロッティ氏。フィアット側の協力を受け、新しいボディはファセル・メタロン社でプレス成形された。フェンダーとボンネットはアルミ製。ドアやサイドシルなどには、スチールの合金が用いられている。
シャシーは、フィアット由来のサルーン、シムカ8用の改良版。ファセルの工場へ運ばれ、クーペかカブリオレのボディが架装され、戻されるという工程だった。

シムカ・スポーツは、シムカ8と並行してアップデート。当初1089ccだったエンジンは、1949年に1221ccへ更新され、シャシー剛性も高められた。アロンドが発売される1951年には、ラリー・モンテカルロでクラス優勝を勝ち取っている。
後のファセル・ヴェガのように柔らかいカーブのスタイリングをまとった、新世代が1953年に登場。ブリジット・バルドー氏などの著名な女優へプレゼントし、パリ市街での注目を高めるという、ピゴッツィによる巧妙なマーケティング戦略も打たれた。































































































































































