ネット上にもほぼ情報がない「隠れ名所」で見つけたクラシックカー 40選(後編) ジャンクヤード探訪記

公開 : 2025.12.21 11:45

米国の巨大ジャンクヤードを巡り、スクラップ同然のクルマにレンズを向ける探訪記シリーズ。今回は、コロラド州の乾燥地帯で見つけた、ネット上にもほとんど情報が載っていない穴場のようなヤードを紹介します。

シボレー・マスターデラックス(1940年)

ヘッドライトの欠けたこの1940年式シボレー・マスターデラックスは、かなり奇妙に見える。銃弾の穴だらけで、おそらく射撃練習に使われたのだろう。あるいは銀行強盗の逃走車だった可能性もある。ルーフはまるで、機関銃で撃たれたように見える。

1940年のシボレーは、3年連続で米国で最も売れたブランドだった。ライバルのフォードが首位に返り咲くのは1946年だが、それも短期間に過ぎない。

シボレー・マスターデラックス(1940年)
シボレー・マスターデラックス(1940年)

シボレー(1960年)

こちらはヘッドライト4灯のうち3灯を失ったシボレーだ。ビスケインの2ドア・セダンと思われる。シボレーのラインナップの中で最も廉価な仕様だ。内装は簡素なもので、シガーライター、助手席用サンバイザー、ドアアームレストといった基本的な装備品すらなかった。

シボレー(1960年)
シボレー(1960年)

シボレー(1952年)

この1952年式シボレーは当時のサンバイザーまで揃った完全な状態に見える。

1950年代の大半において、シボレーは生産台数トップの座を占めていた。1952年も例外ではないが、81万8000台という記録は、前年の122万9986台から大幅に減少していた。ただし、シボレーだけが苦境にあったわけではなく、鉄鋼業界のストライキや朝鮮戦争によるクロム不足の影響で、自動車業界全体が打撃を受けていたのだ。

シボレー(1952年)
シボレー(1952年)

フィアット600

1958年、フィアットは後輪駆動の600を米国へ輸出するようになった。前年渡米した500よりやや大型で、633ccの水冷エンジンを搭載。最高速度は約100km/hだった。その燃費性能が高く評価され、驚くほど売れ行きは好調を見せた。

しかし、他の地域ではさらによく売れている。世界6か国で生産が行われ、1985年に旧ユーゴスラビアで最後の1台が出荷されるまでに、驚異的な492万1626台を売り上げた。

フィアット600
フィアット600

プリムス・サバーバン(1957年)

プリムス・サバーバン・ステーションワゴンは1949年から1978年まで生産されたが、写真の個体は1957年式だ。ラインナップにはデラックス・サバーバン、カスタム・サバーバン、スポーツ・サバーバンの3車種があり、それぞれプラザ、サヴォイ、ベルベディアに相当する。この個体はおそらく中級のカスタムだろう。

プリムス・サバーバン(1957年)
プリムス・サバーバン(1957年)

フォード・カントリー・セダン(1958年)

この1958年式フォード・カントリー・セダンは、部品取りにするにはあまりにも惜しい状態であることから、おそらくレストア用として扱われていると推測される。コロラド州のこの地域は年間降水量がわずか約230mm(米国平均約960mm)と極めて少なく、これが錆びの少ない理由の1つだ。さらに、コロラド州では冬季に道路に塩を撒かないことも、錆防止に寄与している。

フォードはカントリー・セダンを1952年から1974年まで生産していた。年間の販売台数としては1959年の12万3412台が最高で、1952年の1万1927台が最低だった。写真の車両と同じ1958年には9万台弱が生産された。

フォード・カントリー・セダン(1958年)
フォード・カントリー・セダン(1958年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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