【ファリーナ・ボディのクーペ】1台限りのロールス・ロイス・シルバー・ドーン 前編

公開 : 2020.07.12 07:20  更新 : 2020.12.08 11:04

ピニンファリーナがスタイリングした、珍しいロールス・ロイスが存在します。しかし価値が認められにくく、長期間にわたって所在不明でした。イタリアの富豪がオーダーした、1台限りのシルバー・ドーンをご紹介しましょう。

もくじ

富豪がオーダーした1台の特注クーペ
オーナー・ドライバーのためのロールス・ロイス
カロッツェリア・ボディは納車を早める方法
職人技術と近代的な量産とを結びつけた
2013年まで姿をくらましたシルバー・ドーン

富豪がオーダーした1台の特注クーペ

text:Martin Buckley(マーティン・バックリー)
photo:James Mann(ジェームズ・マン)
translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)

 
かつてのイタリアに、ルイージ・ブレッサニという騎士団長がいた。ミラノに住む男性で、極めて裕福だったこと以外、あまり情報は残っていない。

個人的な1台のクルマのために、当時のお金で1万ポンド、今の価値では31万6000ポンド(4171万円)を支払えるほどの財力があった。そんな彼がオーダーしたのが、ロールス・ロイス・シルバー・ドーン。

ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)
ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)

ただのロールス・ロイスではない。イタリア・トリノのカロッツェリア、ピニンファリーナがクーペ・ボディを手掛けた、1台限りの特注モデルだ。ちなみに、1961年まで、ピニンファリーナ社はファリーナ社と呼ばれていた。

1951年当時、世界で最も高価なクルマだったと考えられる。その価格は英国のコーチビルダー、HJマリナー社が手掛けたコンチネンタルRタイプ・ファストバックの2倍に達した。

ベントレーによるスポーツサルーンの発想は、当時すでに確立されており、5台のファリーナボディのMk VIが製造されていた。エッジが丸められたフロントグリルと、1950年代にイタリアが進化させた、フェンダーやドアが滑らかにつながるフルボディのフォルムが印象的だ。

一方、その評判は分かれた。ファリーナも、英国デザインの再解釈には悩んだようだ。

1952年に登場したのが、ベントレーRタイプ・クーペ。今回ご紹介するロールス・ロイス・シルバー・ドーンと近いボディラインをまとっている。ヘッドライトがフェンダーの外側に不格好にレイアウトされ、リアガラスが大きく湾曲しているという違いがある。

オーナー・ドライバーのためのロールス・ロイス

オリジナルのシルバー・ドーンは、1949年のトロント・ワールドフェアで発表された。ファントムII以来となる、左ハンドルのロールス・ロイスだった。

当時としてはロールス・ロイスで最もコンパクトな量産モデルで、オーナー・ドライバーのためのクルマとしてプロモーションされた。自社製のスタンダード・スチールボディを持つサルーンとして、1953年まで唯一の輸出モデルでもあった。

ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)
ロールス・ロイス・シルバー・ドーン・ピニンファリーナ(1951年)

1955年までの間に、761台のシルバー・ドーンが製造され、コーチビルドが施されたのは64台。その中で、ファリーナとシャプロン、ギアがボディを手掛けたのは、それぞれ1台のみ。英国以外で作られたボディは、いずれも美しい仕上がりだ。

シャシー番号SCA43、S90Aエンジンを持つクルマは、イタリアのロールス・ロイス代理店、マストレッリを通じて注文された。請求額は、2020ポンドだった。

英国、クルーの工場で制作が始められたのは、1950年の夏。翌年の6月までに船で欧州大陸へ渡る予定だったが、実際にトリノのファリーナへ届けられたのは8月の終わり。

イタリアの交通は左ハンドルだが、右ハンドルが指定された。当時は一般的だったらしい。ラジオとkm単位のスピードメーター、ダブルフィラメント・ヘッドライトを装備。エンジンは耐熱性を高めるスプリット・スカート・ピストンが選ばれた。

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