【9770万円!】BMW M1プロカー 海外オークションで落札 アル・アンサーJr.が駆ったマシン

公開 : 2020.08.17 06:20  更新 : 2021.10.11 09:34

「BMW M1」のレースマシンが、海外オークションに。約1億円で落札されました。コロナ禍で開催された競売でしたが、リトル・アルがIMSAシリーズを闘った愛機というヒストリーが評価されました。

BMW初のスーパーカー、M1

text:Kazuhide Ueno(上野和秀)
photo:photo:Tim Scott/RM Sotheby’s

1970年代に入って、BMWは2002でツーリングカー・レースにおいて成功を収め、その後3.0CSLにスイッチし確固たる地位を築く。

こうしたBMWモータースポーツの集大成として企画されたのがBMW M1だった。

シフト/モントレー・オークションに出品されたBMW M1プロカー。
シフト/モントレー・オークションに出品されたBMW M1プロカー。    Tim Scott/RM Sotheby’s

BMWが初めて手掛けるミドシップ・スーパースポーツとあって、開発はランボルギーニに託され、数多くのスーパーカーを手掛けてきたジャン・パオロ・ダラーラが担当した。

しかし計画通りに進行しないことから1978年にランボルギーニとの契約は解消。

1930年代からBMWが提携していたシュツットガルトのコーチビルダーのバウアー社に製作が依頼され、ようやく発売にこぎつける。

プロカー・シリーズとは

生産工程が複雑で思うように生産できないM1は、レース参戦に必要な公認生産台数(グループ4の400台)をクリアできないでいた。

そこで企画されたのがF1グランプリの前座レースでF1ドライバーを始めとするプロドライバーがイコール・コンディションのBMW M1で競う「プロカー・シリーズ」である。

シフト/モントレー・オークションに出品されたBMW M1プロカー。
シフト/モントレー・オークションに出品されたBMW M1プロカー。    Tim Scott/RM Sotheby’s

「プロカー・シリーズ」は1979年5月のベルギーGPから9月のイタリアGPまでのヨーロッパ・ラウンドの8戦で行われた。

参加したのは、当時ブラバムに乗るニキ・ラウダ、ネルソン・ピケを始め、クレイ・レガツォーニ、マリオ・アンドレッティ、アラン・ジョーンズ、エリオ・ディ・アンジェリスなどの錚々たるF1パイロットたち。

使用されるM1プロカーはグループ4規定に合わせてモディファイし、ミドに搭載されるM88/1型ストレート6は、3453ccから470hp/9000rpmを発揮。これにZF製5速ギアボックスが組み合わせられた。

ボディ回りでは大型のフロント・スポイラーに変更され、ホイールがワイド化されたことに対応してオーバーフェンダーが前後輪に備わり、リアデッキにはウイングが取り付けられた。

もちろん安全対策も行われ、キャビン内にはロールケージが張り巡らされ、バケットシートと4点式ハーネスが組み込まれていた。

IMSA GTOを闘ったM1プロカー

RMサザビーズの頂点に位置するのが8月のモントレー・オークションだが、今年は新型コロナウイルス感染症が収束しないことから、「シフト/モントレー」と題してオンラインで行われた。

ここに姿を見せたのが1980年に製作されたM1プロカー、シャシーナンバーWBS59910004301195である。

シフト/モントレー・オークションに出品されたBMW M1プロカーの内装。
シフト/モントレー・オークションに出品されたBMW M1プロカーの内装。    Tim Scott/RM Sotheby’s

このM1プロカーはアメリカのプライベート・レーサーのジョー・クレヴィエがオーダーしたマシンで、56台が作られたプロカーの36台目となる。1981年4月からIMSAシリーズのGTOクラスに挑んだ。

注目したいのは、ジョー・クレヴィエが選んだパートナーだ。

インディ500マイルで2度の勝利を挙げるとともに、CARTシリーズで2回のチャンピオンを勝ち取り、1984年のカンナム・シリーズで王者となるアル・アンサーJr.(ジュニア)と組んで闘ったのである。

デビュー戦となったリバーサイドでのトヨタGPはクラス3位に終わるが、続くラグナセカ100マイルではクラス2位を勝ち取る。

1981年は11戦に参戦し、5回の表彰台を得た。

1982年シーズンは3回の表彰台を記録したが、この年をもってM1プロカーでのレース活動を終了し売却される。

その後何人かのオーナーを経て、2009年にスイスのエンスージアストが入手。彼はル・マン・クラシック、スパ・クラシック、モンツァ・クラシックなどのヒストリックカー・レースへ積極的に参加していたので、目にされた方も多いことだろう。

記事に関わった人々

  • 上野和秀

    Kazuhide Ueno

    1955年生まれ。気が付けば干支6ラップ目に突入。ネコ・パブリッシングでスクーデリア編集長を務め、のちにカー・マガジン編集委員を担当。現在はフリーランスのモーター・ジャーナリスト/エディター。1950〜60年代のクラシック・フェラーリとアバルトが得意。個人的にもアバルトを常にガレージに収め、現在はフィアット・アバルトOT1300/124で遊んでいる。

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