巨大V12エンジンを運んだロールス・ロイス カリナン・ブラッグバッジで辿る 後編

公開 : 2022.07.30 09:46

気持ちを鼓舞したファントムIのトラック

惜しくも先日閉鎖されてしまった場所だが、貴重なコレクションは別の場所へ移され、維持されるようだ。業務用のトラックが通過するたび、後ろ半分が改造されたファントムIを思い出す。

37LのRエンジンは、ロールス・ロイスの工場へ運ばれると、待機していたエンジニアによって、分解整備が素早く実施された。翌日、カルショット航空基地へ届けるために。

ロールス・ロイス・カリナン・ブラックバッジ(英国仕様)
ロールス・ロイス・カリナン・ブラックバッジ(英国仕様)

シュナイダー・トロフィーの優勝が掛かった3戦目。英国政府の注目も集まるなかで、V型12気筒エンジンに組まれたスーパーチャージャーは、最大限にブースト圧が高められた。

ロールス・ロイスの技術者たちは、大きなプレッシャーのなかで作業したことだろう。夜道を疾走するドライバーと、信頼できるファントムIのトラックは、彼らの気持ちを鼓舞したに違いない。

番外編:シュナイダー・トロフィーとは

飛行艇レースのシュナイダー・トロフィーは、フランスの技術者で投資家だった、ジャック・シュナイダー氏の発案で1912年に始まった。航空機開発の推進が目的だった。

参戦できるのは、水上から離発着する飛行艇のみ。ホスト国は、前年のレースの優勝国。最高速を競い、5年以内に3度優勝した国が出た時点でレースは終了。シュナイダー・トロフィーを、永久に保持できるというルールが定められた。

シュナイダー・トロフィーを勝利した、英国のスーパーマリンS.6B
シュナイダー・トロフィーを勝利した、英国のスーパーマリンS.6B

1931年までに英国とフランス、イタリア、アメリカのチームによって11回が開催され、英国が見事に優勝を飾っている。だが1931年の予選段階では、チームの雲行きは良くなかった。英国政府は経済危機に見舞われ、チームへの資金提供を中止していた。

しかし、大富豪のレディ・ヒューストン氏が10万ポンド、現在の価値で約500万ポンド(約8億3500万円)をチームへ提供。優勝に向けて強力に後押しした。

大手が掛かった戦いに、フランスとイタリアのチームは辞退。アメリカは、既に1926年に手を引いていた。英国チームは、1929年の時速328.64マイル(528.89km/h)を更新することで、勝利を確実なものにすることを狙った。

果たして、スーパーマリンS.6Bで挑んだ英国チームは、カルショット航空基地が面したザ・ソレント海峡で時速340.08マイル(547.30km/h)を達成。シュナイダー・トロフィーを勝ち取るに至った。

さらに2週間後には、ロールス・ロイスのRエンジンは同じ機体を平均速度で時速407.5マイル、655.8km/hまで加速させた。トロフィーは、ロンドンの科学博物館に今も展示されている。

ロールス・ロイス・カリナン・ブラックバッジ(英国仕様)のスペック

英国価格:32万9020 ポンド(約5494万円)
全長:5341mm
全幅:2180mm(ミラー含む)
全高:1823mm
最高速度:249km/h(リミッター)
0-100km/h加速:4.9秒
燃費:6.6km/L
CO2排出量:343g/km
車両重量:2660kg
パワートレイン:V型12気筒6749ccツイン・ターボチャージャー
使用燃料:ガソリン
最高出力:600ps
最大トルク:91.7kg-m
ギアボックス:8速オートマティック

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジョン・エバンス

    John Evans

    英国編集部ライター
  • 撮影

    リュク・レーシー

    Luc Lacey

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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