プアマンズ・ポルシェ?  リッチマンズ・ビートル? VWカルマン・ギアに乗る

公開 : 2017.06.10 00:00

その立ち位置から評価が2分するフォルクスワーゲン・カルマン・ギアの登場です。口の悪い人はプアマンズ・ポルシェといいますが、ところがどっこい。実際にドライビングしてみると愉しいクルマでした。

「空冷、リア・エンジンのジャーマンカーここにあり」 あの気高いポルシェの影で目立たぬ存在となってしまったフォルクスワーゲン・カルマン・ギアだがマーティン・ポートは表舞台で輝くに足る1台だと考える。

憧れのカリフォルニアではなく雨のウェールズ

憧れのカリフォルニアにいるはずが……。格好いいカブリオレに乗り込み、屋根を開け放つ。ラジオのボリュームを上げて、出発。見渡す先は月曜の朝だってのに白波に乗って羽を伸ばすサーファー達。あぁ、カリフォルニアの海岸線を走りたい。それなのに私が今居るのは……。間抜けな羊どもが足元に群れて離れない。浜辺はそぼ降る雨でびしょびしょ。現実に引き戻された私が居るここは、ウェールズの端っこ。英国中が夏の盛りを楽しんでいるというのに、ここオグモア・バイ・シーなる片田舎は、気象予報士の話などまるで意に介さない。今のところは。

独伊のコラボレーション。


雨が止むまでの間、ルーム・ミラー越しにカルマン・ギアのふくよかなボディ・ラインをゆっくり鑑賞してみる。リア・タイヤ周りの、おもわず見とれるくびれは、可愛くも見えるし不恰好にも見えるが、全体としては、知る人ぞ知るこのフォルクスワーゲンにどこか面白みを与えている。「このクルマの名前は?」土地の人がお国言葉丸出しで尋ねてくる。あのつましいビートルか、初期の頃のポルシェだったなら、当然、彼はクルマの名前を知っていて、聞いてくることも無かったはずだ。誰にだって見分けられるほど有名だから。しかし、たしかにその2台にはカルマン・ギアを連想させるものがある。いずれも空冷、リア・エンジンのジャーマンカーで、血筋もエンジニアリング精神も共通してるからだ。だからといって、カルマン・ギアが今よりも正しく評価されるべきなんて言えるだろうか。なにかと忘れられがちなモデルだし、The「国民車」から夢のポルシェ使いへの踏み台として扱われているのに、卑屈にならずに「シュツットガルトの象徴、ポルシェのお値打ち版である」と手を挙げられるだろうか。

スタイリッシュなロゴ・デザイン。

馬車製作メーカーだったカルマン

カルマン・ギアのストーリーは込み入った話になる。1874年にヴィルヘルム・カルマンが馬車製作を始めると、彼のオスナブリュック工場は、デュルコップ、ハンザロイド、アドラーといったメーカーに自動車のボディを製作するまでに発展し、彼のビジネスは30年も掛からずにすっかり成長を遂げた。世界大恐慌による大きな打撃を受けたにもかかわらず、こうしたクライアントに恵まれ業績は堅調だった。しかし、第2次大戦によりこれまでにない被害を受けると、カルマン社はその栄光を取り戻すのに、後のビートル・カブリオレの開発と生産を行う1949年まで待たなければならなかった。カルマン社のその後の自動車ビジネスは好調で、1950年初頭にはボディ製作が通算1000台目に達したにもかかわらず、ヴィルヘルムは自分の名を冠したクルマを作りたいと考えた。しかし、彼はその夢の実現を目にすることなく、1951年にこの世を去ってしまう。実はその頃、ビートルとプラットフォームを共用するスポーツカーの生産について、フォルクスワーゲンとの間で話し合いが始まっていた。ところが、試作スケール・モデルがフォルクスワーゲンの上層部と最高責任者であるハインリッヒ・ノルトホフの後押しを得られなかったのである。この時、ノルトホフの意識は、サルーンカーの改良に向いていたのだ。

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