ドイツの工業力が生んだ「狂気」の自動車デザイン ゲルマン魂が光る奇妙なクルマ 30選 前編

公開 : 2024.09.07 18:05

ドイツの自動車といえば、質実剛健で保守的なデザインというイメージがあるかもしれない。しかし、時には「狂気」まじりの奇妙なデザインが登場する。ドイツで生まれた珍しいクルマを見ていきたい。

技術大国で生まれた「秘密兵器」

ドイツの自動車デザイナーはしばしば、あえて常識から逸脱し、奇抜なデザインを世に送り出してきた。

美しくエキセントリックなフォルムから不思議なキャラクターラインまで、風変わりなドイツ車のデザインを振り返ってみよう。

ドイツ車といえば、質実剛健で保守的なデザインというイメージがあるかもしれない。しかし「例外」も存在する……。
ドイツ車といえば、質実剛健で保守的なデザインというイメージがあるかもしれない。しかし「例外」も存在する……。

フォルクスワーゲンビートル(1938年)

多くの人は、フェルディナント・ポルシェがビートルの考案者だと思っているが、厳密にはそれは間違いである。ポルシェが昆虫をモチーフにした最初のスケッチを発表する5年前に、工学者で発明家のベラ・バレニーはオリジナルのデザインを考案したのだ。

バレニーは初期の自動車設計で数々の貢献をしており、中でも人命を救う「クランプル・ゾーン」のアイデアと「変形しない乗用車用セル」については、彼に感謝しなければならない。

フォルクスワーゲン・ビートル(1938年)
フォルクスワーゲン・ビートル(1938年)

時の独裁者アドルフ・ヒトラーはポルシェに対し、時速100kmで大人2人と子供3人を輸送でき、バイクよりも安価なフォルクスワーゲン(国民車)の開発を命じた。ビートルの独特のフォルムは、後に象徴的なものとなり、2003年まで生産された。

シュレールワーゲン(1939年)

エリア51が興味を持ちそうなデザインだが、シュレールワーゲン(Schlorwagen)は空力研究所のエンジニア、カール・シュラーの構想によるものだ。メルセデス・ベンツ170Hのシャシーを使い、実際に走行可能な車両が1台だけ作られた。アルミニウム製の車体は、1938年にオペル・ブリッツをベースにした「エアロ」バスでも知られるルーデヴィッヒ兄弟が製作した。

シュレールワーゲンは、空気抵抗係数(Cd値)がわずか0.186で、最高速度は170Hよりわずかに速い135km/hを達成した。ベルリン・モーターショーで公開されたが、世間からは不細工というレッテルを貼られ、その後、第二次世界大戦のためにお蔵入りとなった。

シュレールワーゲン(1939年)
シュレールワーゲン(1939年)

クラインシュニットガーF125(1950年)

F125は修理工であるパウル・クラインシュニットガーの作品である。戦後、彼はリサイクル金属、自転車の車輪、古い飛行機の部品を使って試作車を作った。1949年には完成し、墜落した戦闘機の風防が取り付けられた。ドイツの実業家がそのデザインに魅力を感じ、小さな工場に資金提供した。

しかし、F125の試作車は大きさが足りず、再設計を余儀なくされた。初期の生産では、コスト削減のため、アルミ製のボディは陸軍の余剰調理鍋を平らに叩いて作られた。

クラインシュニットガーF125(1950年)
クラインシュニットガーF125(1950年)

記事に関わった人々

  • 執筆

    AUTOCAR UK

    Autocar UK

    世界最古の自動車雑誌「Autocar」(1895年創刊)の英国版。
  • 翻訳

    林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

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