ジェリービーンズの輝き フォード・カプリ II(1) 不景気の街で恋に落ちたニューフェイス

公開 : 2025.03.23 17:45

11歳でひと目惚れしたカプリ II 幼馴染との出会いで念願の1台へ接近 ジェリービーンズのように輝いて見えた再会 新車級のオリジナル状態へレストアされた1台を、英編集部がご紹介

不景気の街で希望を抱かせたニューフェイス

「危ないな。ボールをさっさと拾って、向こうで遊んでな!」。1978年式フォード・カプリ II 2.0Sのオーナーだった、ロニーという男性は、ジョン・コリンズ氏へ吐き捨てるように口にした。

当時11歳だったコリンズ。汚れたサッカーボールは彼の足からそれ、リージェンシー・グリーンの艷やかなボディへヒットする寸前だったという。40年ほど前の出来事だが、今でも鮮明に覚えているとか。

フォード・カプリ II 2.0S(1974〜1978年/英国仕様)
フォード・カプリ II 2.0S(1974〜1978年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

それでも彼は長年に渡って、カプリ IIを夢のクルマとして心に描いてきた。今では「ジェイド」というあだ名を付け、レストアが間もなく完了する予定にある。

1970年代後半のグレートブリテン島中西部、リバプールは不景気に沈んでいた。そんな街に現れたフォードのポニーカーは、希望を抱かせるニューフェイスといえた。

カプリ IIの生産は1974年から1978年までと、長くはなかった。それでも同社の強みといえた、マーケティングとスタイリングが効果的に働いた。

メカニズムの洗練度は高くなかったが、ロングノーズの整ったシルエットと、初代が築いた評判によって人気を獲得。特に英国の若者からは、確かな支持を集めた。ティーンエイジャーになったばかりのコリンズも、少しませた思考といえたが、その1人だった。

幼馴染と偶然の出会いで念願のクルマへ接近

社会人になり故郷を離れても、コリンズはカプリ IIのことを忘れなかった。リージェンシー・グリーンのクーペは、常に頭の片隅にある存在だったそうだ。1995年に建設現場で幼馴染と偶然出会うまで、具体的な動きはなかったとはいえ。

久しぶりに再会した友人と話は弾み、気が付けばクルマの話題へ。その流れで、17年前にコリンズを怒鳴りつけたロニーの娘と、彼の旧友が結婚したことをコリンズは知る。在りし日のカプリ IIへ、1歩近づいた瞬間だった。

フォード・カプリ II 2.0S(1974〜1978年/英国仕様)
フォード・カプリ II 2.0S(1974〜1978年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

ロニーが、この世を去ったばかりなことも知らされた。カプリ IIを、最後まで手放さなかったことも。彼の両親が持つガレージで、大切に保管されていたという。

これを聞いたコリンズは、そのカプリ IIを買い取りたいという衝動に駆られた。死後間もない時期に、遺したクルマの買い取りを申し出ることが賢明ではないことも、同時に理解していた。

この件に関して、真っ先に相談したのは自身の父親。話し好きで、交渉能力にも長けた人物だったという。「父には、人を自然と導くような雰囲気がありました。オーラのような。自身の人生を語り始めると、周囲の人は惹き込まれるようでしたね」

話を聞いた父は、連れ添ったロニーを失った妻へ、タイミングを図って電話をかけた。クルマを売る決心が付いたら、連絡するという約束が交わされた。もちろんコリンズは喜んだが、彼女が語った内容へ驚きもした。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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