ジェリービーンズの輝き フォード・カプリ II(1) 不景気の街で恋に落ちたニューフェイス

公開 : 2025.03.23 17:45

ジェリービーンズのように輝いて見えた

ロニーは、クルマを誰よりも大切にしていた。この世を去るまで18年間も所有していたが、妻は1度も乗せてもらえなかったとか。公道へ出るのは、晴れた時だけ。雨や雪の日にガレージから出ることはなく、走行距離は3万9000km足らずだった。

リージェンシー・グリーンのカプリ IIは、グレートブリテン島にある残存例で、最も状態の良い1台なことは疑いようがなかった。生産数は少なくなく、中古車価格は低迷し、20年近くが経った多くは廃車になることが通例だった。

フォード・カプリ II 2.0S(1974〜1978年/英国仕様)
フォード・カプリ II 2.0S(1974〜1978年/英国仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

工事現場での旧友との再会から、約半年。コリンズは悶々とした日々を過ごしたが、最終的には、とあるガレージを訪れる朝がやってきた。長く閉ざされたドアが開かれ、低く屈んだフォードのクーペが姿を表した。

その時に目撃したボディカラーを、ジェリービーンズのように輝いて見えたと彼は振り返る。はやる気持ちを抑えつつ、約束の1000ポンドを渡すと、クルマのキーと、整備履歴や請求書、納税証明などが詰まったフォルダーを受け取った。

自宅までは自走。その日の夜は興奮を抑えきれず、車中で過ごしたそうだ。ところが、ロニーの過保護ぶりと短い走行距離とは裏腹に、状態は完璧ではなかったという。

当初描いた計画は、父親からお金を借りつつ、僅かに改良。草レースを楽しめる仕様へ仕上げることだった。とはいえ、その時間で父親とドライブを楽しむ方が遥かに魅力的な過ごし方になると気付き、季節は過ぎていった。

実家は売却 専門家によるレストアを決意

実家のガレージで、親子でのカプリ IIの分解が始まったのは2010年。しかし程なくして父親の癌が発覚し、コリンズ1人で作業は進められることになった。

闘病生活は8年にも及んだが、父がこの世を去った時点で、カプリ IIは仕上がっていなかった。ジェイドというあだ名で呼んではいたものの、エンジンとトランスミッションを降ろしたまま、放置していたという。

フォード・カプリ II 2.0Sと、オーナーのジョン・コリンズ氏
フォード・カプリ II 2.0Sと、オーナーのジョン・コリンズ氏    マックス・エドレストン(Max Edleston)

2022年になり、実家を売却することを母親が決め、ガレージに置かれていた未完成のフォードは移動を迫られた。レストアを完了させるか、転売するかの二択といえた。一晩じっくり考えた彼は、専門家へ依頼し、復活させるという結論を導いた。

カプリ IIの部品の一式が荷造りされ、1年に及ぶレストアがスタート。ボディやシャシーの錆は、想像以上に進行していた。サイドシルなど構造的な部分はしっかりしていたが、フロントフェンダーやリアバンパー付近は、少し手荒な修理を受けていた。

ナットやボルトは再メッキされ、下回りの部品は時間をかけて再塗装。ボディカラーは、オリジナルと同じ鮮やかなリージェンシー・グリーンが選ばれた。ドライブトレインやサスペンションなども、一通りリビルドを受けた。

2.0L直列4気筒エンジンは、並行してコリンズが分解。本来の調子が引き出された。

この続きは、フォード・カプリ II(2)にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    チャーリー・カルダーウッド

    Charlie Calderwood

    英国編集部ライター
  • 撮影

    マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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