明るく情熱的なホットロッド黄金期スタイル ローフライヤーズ・クラブ(1) ガソリン臭い戦前フォードへ夢中!

公開 : 2026.04.18 17:45

戦後のカリフォルニアで誕生したホットロッドを継承する、「ローフライヤーズ」。情熱的で明るい雰囲気は、設立当初と変わらないとか。個性的なカスタムカー・イベントへUK編集部が潜入です。

ガソリン臭い戦前フォードへ夢中だった若者

ホットロッド・シーンは、戦後のアメリカ東海岸で誕生した当初から、別の方向へ進化していった。1980年代半ばまでに、反骨精神を主張したり最高速へ挑むのではなく、コストを惜しまず派手なマシンを作るという、異なるスタイルへ収束していった。

仕上がったホットロッドは、トレーラーでイベント会場へ運ばれた。広大な広場へ沢山の仲間が集っても、エンジンは殆ど回ることなく、半ば鑑賞対象になっていた。スピードへの追求心は、すっかり鎮まっていた。北米でも、英国でも。

ローフライヤーズ・クラブの見事なホットロッドたち
ローフライヤーズ・クラブの見事なホットロッドたち    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

だが半世紀ほど前、ガソリン臭い戦前のフォードへ夢中な若者たちが、グレートブリテン島南部にいた。ピカピカにボディを磨き上げる以上に、パワーを引き上げ、積極的に公道を走らせた。1940年代のホットロッダーと同様に。

そのカークラブは「ローフライヤーズ」と名付けられ、初期のメンバーが歳を重ねた今も存続している。過去への敬意を示しつつ、ロゴがデザインされ、本来の楽しさへフォーカスした多くのホットロッドが誕生している。

ベース車はモデルYやパイロット

当初の中核メンバーは11名。半数以上が自動車業界の関係者で、1970年代に流行った自動車雑誌、「カスタムカー」へ強い影響を受けていた。数年後には、世界的に見ても特徴の強いクラブへと成長していった。

グレートブリテン島に残っていた、1932年発売のフォード・モデルYや、1947年発売のフォード・パイロットが、主力のベース車になった。特に、簡素なシャシーにフラットヘッドのV8エンジンが載った後者は、理想的だった。

フォード・5ウィンドウ・クーペ(1932年式)
フォード・5ウィンドウ・クーペ(1932年式)    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

1953年のサルーン、フォード 100Eへ大排気量エンジンを積んだり、英国製のモーリス・マイナーのカスタムで、腕を磨く若者も多かった。他方、手持ちの部品で組み上げたラットロッドと呼ばれるスタイルとは、一線を画してもいた。

メッキは錆びて、ボディはプライマーのまま

クルマ作りで重視されたのは、豪快に走れること。ドン・モンゴメリー氏によるホッドロッド専門誌がバイブルになり、モノクロ写真が、インスピレーションを掻き立てた。

メンバーのジョン・「ザ・ヒッピー」・ブラックモア氏が1985年に製作した、フォード・5ウインドウ・クーペが、クラブの象徴的な1台に。自らの手で本物のホットロッドを生み出せることが証明され、同じ志向のメンバーを刺激した。

ローフライヤーズ・クラブ設立当初の様子
ローフライヤーズ・クラブ設立当初の様子    ジャック・ハリソン(Jack Harrison)

自宅でクルマはバラされ、様々なルートで部品が調達され、新たなホットロッドが次々に誕生した。彼らにとっては、路上で走らせることが重要だった。メッキは錆びていて、ボディはプライマーのまま、という仕上がりも多かった。

記事に関わった人々

  • 執筆

    ジュリアン・バルメ

    Julian Balme

    英国編集部ライター
  • 撮影

    ジャック・ハリソン

    JACK HARRISON

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

ローフライヤーズ・クラブの前後関係

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