100年前にオープンカーでサハラ砂漠を走った女性 勇気と狂気は紙一重 歴史アーカイブ

公開 : 2025.03.17 18:45

今からおよそ100年前の1927年、屋根のないルノーで広大なサハラ砂漠を旅した女性がいます。有名政治家の親戚で作家・芸術家のクレア・シェリダンは、当時のAUTOCAR誌にその壮烈な体験記を載せていました。

あまりにも危険すぎる紀行文 1927年の記事を振り返る

4WD車が発明される以前に、人々はクルマで荒野を走ることはあったのだろうか?

もちろん、あった。それが人間というものだ。1900年代初頭にはすでにそうしたエピソードが見られるが、筆者の想像力をかき立てたのは1927年の話である。

クレア・シェリダン(右から2人目)は1920年代の砂漠地帯をクルマで走り抜けた。
クレア・シェリダン(右から2人目)は1920年代の砂漠地帯をクルマで走り抜けた。

100年前の英国人女性になったつもりで想像してみてほしい。機械の知識も砂の上を走る経験もないまま、2人の幼い子供たちを連れて、武装した遊牧民が住むサハラ砂漠の大部分を、最高出力わずか15psのルノーの小型オープンカーで走ろうなどと思うだろうか?

もちろん、そんな人はいないだろう。しかし、クレア・シェリダンは違った。かのウィンストン・チャーチル卿の従妹で、ソ連の共産主義に傾倒したトラブルメーカーであり、世界中を飛び回り、作家であり芸術家でもあった人物だ。

クレア・シェリダンは当時のAUTOCAR誌への寄稿で、次のように書いている。

「わたしは、ありきたりのモーターツーリスト(自動車旅行者)ではありません。自分の種族が嫌いで、観光ルートから離れるのが大好きです」

「道路の不快さや危険性は、むしろわたしのモーターアドベンチャー(自動車冒険)への情熱をかき立てます。実際、新車を買うような経済的余裕のない人間にしては、わたしは軽率で無謀です」

「(アルジェリアの都市)ビスクラのガレージで、わたしは380km南の町ワルグラへ出発するつもりだと告げると、彼らは哀れむような笑みを浮かべました」

「しかし、わたしが思いとどまらないとわかると、彼らは考えられる限りのスペアパーツ、4本のインナーチューブ、2本のタイヤ、予備のホイールを1本持っていくよう助言してくれました。そのような余裕はありませんでしたが、2本のインナーチューブ、シャベル、そして現地の整備士を連れて行くことで同意しました」

15kmほど舗装道路を走った後、彼女は砂漠に入った。

「地表は硬く、隆起した白亜質の岩で構成されており、時速15kmという遅いスピードでもひどく揺さぶられました。車体はきしみ、がたつき、うなり始めたのです」

そして、この難所を乗り越えたとたん、シェリダンはクルマを砂丘にはまり込ませてしまった。車輪は空回りし、焦げたような臭いがたちこめ、タイヤがバーストした。ジャッキもフロアボードもガソリン缶も、拾い集めた雑草も、どれもトラクションを得るのに役立たなかった。

記事に関わった人々

  • クリス・カルマー

    Kris Culmer

    役職:主任副編集長
    AUTOCARのオンラインおよび印刷版で公開されるすべての記事の編集と事実確認を担当している。自動車業界に関する報道の経験は8年以上になる。ニュースやレビューも頻繁に寄稿しており、専門分野はモータースポーツ。F1ドライバーへの取材経験もある。また、歴史に強い関心を持ち、1895年まで遡る AUTOCAR誌 のアーカイブの管理も担当している。これまで運転した中で最高のクルマは、BMW M2。その他、スバルBRZ、トヨタGR86、マツダMX-5など、パワーに頼りすぎない軽量車も好き。
  • 林汰久也

    Takuya Hayashi

    1992年生まれ。幼少期から乗り物好き。不動産営業や記事制作代行といった職を経て、フリーランスとして記事を書くことに。2台のバイクとちょっとした模型、おもちゃ、ぬいぐるみに囲まれて生活している。出掛けるときに本は手放せず、毎日ゲームをしないと寝付きが悪い。イチゴ、トマト、イクラなど赤色の食べ物が大好物。仕事では「誰も傷つけない」「同年代のクルマ好きを増やす」をモットーにしている。

関連テーマ

おすすめ記事