クレイモデルの裏話 なぜ今も自動車設計に「粘土」が使われるのか 歴史アーカイブ
公開 : 2025.03.06 18:25
粘土で作る実物大模型「クレイモデル」が自動車業界で用いられるようになったのは、1930年代のこと。当時のAUTOCAR誌の記事を振り返り、自動車の設計でクレイモデルが果たす役割について見ていきたい。
1930年代に導入されたクレイモデル 当時の記事を振り返る
日常生活におけるほとんどすべての物事をデジタル技術に依存している現代にあっても、自動車デザイナーにとって粘土で作る立体模型「クレイモデル」は依然として不可欠である。
理由は単純で、CAD(コンピューター支援設計)によって驚くほどリアルな3D画像が作成できるようになったとはいえ、デザイナーの描いた図面を物理的に表現したほうが、視覚化や評価が容易だからだ。

粘土による立体化は、1930年代に米ゼネラルモーターズのデザインチーフ、ハーレー・アール氏によって自動車業界に導入された。それまでは、木や金属を使った、難しく時間のかかる作業が主流であった。
クレイモデルは、自動車設計の主流がボディオンフレーム構造からモノコック構造へと移行するにつれ、さらに重要な役割を担うようになった。AUTOCAR英国編集部がそのことを認識したのは1945年で、当時の編集者モンタギュー・トームス氏とテクニカルアーティストのマックス・ミラー氏がオースチンのロングブリッジ工場を訪れ、戦後初のモデル開発に取り組む「裏方」を取材したときであった。
「座ったまま魅力的な2人乗りスポーツカーをスケッチし、ホイールベースを決めずに、当て推量で人間の収容スペースを確保することは誰でも簡単にできる」
「しかし、7フィート(約2.1m)のホイールベースに実用的な4人乗りのサルーンをレイアウトし、なおかつ、その結果を人間の目に普遍的に美しく見えるようにするには、真の天才的才能が必要だ」とトームス氏は書いた。
記事では、取締役会が新しいデザインを要求してから最初の量産車が出荷されるまでの、約4年間にわたるクリエイティブなプロセスについて説明している。
「ボディデザイナー(BD)は、まず、オーソドックスなスタイルに改良を加えたものから未来的なものまで、さまざまなスタイルやモードを表現した大胆なラフスケッチを数多く作成することから始める」
これらのスケッチは経営陣によって検討され、選ばれた1つまたは2つの案の開発を進める。次に、BDは側面図、平面図、正面図を作成する。
「次のステップがモデリングである。図面と同じ縮尺のモデルがプラスティシン(工作用粘土)で作成され、平面図で示された曲線があらゆる角度から見ることができる表面に変換される」
この方法でこそ、主要なプロポーションを目で見て確認し、そのバランスを取り、ハイライトが散らばっている場合は、巧みなタッチで随所を修正して連続性を持たせることができる。
「おそらくBDは、1つのデザインに対して、わずかな違いを持つ6つのモデルを作り、最も満足のいく組み合わせを模索するのだろう。そして、一瞬たりとも、表面下にある座席定員数やメカニズムの寸法に対する注意を緩めてはいけない」
「そして、BDは作業中、自分が描いている曲線を鋼板で製造できるかどうかを念頭に置かなければいけない」
「視認性や乗り降りのしやすさなど、さまざまな理由から、サルーンボディの重厚な塊をフロントに絞り込んでいく。しかし、自動車業界では依然としてラジエーターが重視されていることから、フロントエンドの処理がデザイン上最も難しい部分の1つとなっている。そのため、モデルのフロントエンドは取り外し可能にすることが多く、さまざまなフロントエンドを当てはめることができる」
「BDがようやく満足し、鋼板プレス加工の専門家がゴーサインを出し、ボディエンジニアリングの主任が承認すると、サンプルモデルが役員に提出される」
「おそらく、彼らが考えているすべての点が完全に満たされているわけではないため、さらなるモデリングが必要だ。最終的に、次の段階への開発用にモデルが選択される」
「実物大のスケール図面の予備セットが作成され、そこから実物大の『モックアップ』モデルが作成される。これは木材で作られ、パーツを取り外したり、再形成したりできるようにブロックで組み立てられる」
「関係者全員がモックアップをくまなく検討した後、いよいよ仕上げに入る」
「プレス加工のエンジニアがすべてのパネル、ウィング(フェンダー)、その他の部品を調査し、どの部品を一度にプレス加工できるか、どこで分割しどこで接合するかなどを決定する」
「ここから先はボディ設計部門へと引き継がれ、そこでは、大小を問わず、作業全体におけるあらゆる細部の生産図面一式が作成される」
この80年の間に自動車業界のありとあらゆるものが大きく変化したにもかかわらず、デザインの本質は今も昔も変わっていないことに驚かされる。