ビッグ3は大混乱 マーキュリー・モナークとフォード・グラナダ(2) 無力感漂う小さな高級車

公開 : 2025.04.05 17:46

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フランス女優をテレビCMに起用したフォード

アメリカン・ラグジュアリーの代名詞、ゼネラルモーターズ(GM)のキャデラックは、小型のセビルを1975年に発売する。マーキュリー・モナークは、ライバルへ対抗するため1977年にリンカーン・ブランドにも波及。ベルサイユの名を得ている。

フォード・グラナダとともに、1978年にフェイスリフトされ、ヘッドライトは円形から長方形へ変更。コラムシフトからフロアシフトになり、バケットシートやブラックトリムなども獲得している。オプション全部載せのグランド・マーキス仕様も登場した。

マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)
マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

2ドアクーペもアップデート。ヨーロピアン・スポーツ・セダン(ESS)グレードも追加されている。テレビCMには、フランスの女優、カトリーヌ・ドヌーヴ氏を起用。欧州のエレガントさが、女性的に表現された。

右ハンドル車へ改造されたV8エンジン仕様のモナーク・ギアは、欧州大陸にも届けられた。オーストラリア製のファルコンや、2代目マスタングなどと並び、4ドアサルーンと2ドアクーペの2種体制で。

AUTOCARは、1977年にモナーク・クーペへ試乗。0-97km/h加速11.6秒、最高速度161km/hという動力性能を確かめている。平均燃費は、4.2km/Lだった。

ちなみに1972年には、欧州フォードも、全長4572mmとコンパクトな初代グラナダを提供している。これはモデル名が同じでも、北米のグラナダとはまったく別のモデル。北米への輸入も一度検討されているが、コストを理由に実現していない。

大人4名がゆったり過ごせる車内空間

輸入代理店のホデック社は、ボルボ164やジャガーXJ6に並ぶ選択肢として、モナークが英国人の関心を集められると期待した。ギア仕様として、パワーウインドウにリクライニング可能なバケットシート、フロアシフト式のATなどが組まれていた。

灯火類も、グレートブリテン島の法規制へ適応されたが、最終的に英国で何台売れたのかは明らかではない。筆者の記憶の限り、少なくとも頻繁に見かけるモデルではなかった。むしろ英国人は、アメリカ車ならマッスルカーを好む傾向が強かった。

マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)
マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

それから半世紀近くが過ぎ、モナーク・ギアが目の前にある。高級なアメリカン・クラシックという印象は、正直なところ薄い。

ご登場願ったホワイトの4ドアサルーンは、左ハンドルの1978年式。20年以上前に、アトウェル・ウィルソン自動車博物館の創設者が、結婚式に乗られるウェディングカーとして並行輸入している。

大きく開くフロントドアを避け、上等に仕立てられたキャビンへ乗り込む。ボディサイズを考えると、空間効率は甘いといわざるを得ないが、大人4名がゆったり過ごせる。5名でも、快適と呼べるだろう。後席側も荷室も、広大だ。

内装のフィット感や作り込みでは、同年代のメルセデス・ベンツへ届いていないが、ソリッド感はある。走行中にガタつく部分はなく、フォードが1960年代に課題としていた製造品質の向上が、しっかり実を結んでいるようだ。

記事に関わった人々

  • マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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