排気量4097ccでも98ps マーキュリー・モナークとフォード・グラナダ(1) パワーやスピードは罪

公開 : 2025.04.05 17:45

オイルショックを経て注目されたダウンサイジング 法規制で4.1L直6でも98馬力 アイアコッカの手腕で200万台を販売 価格はゴルフ 容姿はキャデラック 英編集部が小さな高級車をご紹介

4.1L直6エンジンの最高出力は98ps

マーキュリー・モナークとフォード・グラナダが誕生したのは、1974年。アメリカは、パワーやスピードを罪にしたような、重大な法案が成立した時期にあった。

モナークとグラナダは、アメリカン・フルサイズの一般的なサルーンより数100kg軽く、数100mm短かった。それでも運転の魅力に溢れるとは呼べず、電子制御の点火システムを採用しながら、4.1L直列6気筒エンジンが叶えた馬力は驚くほど低かった。

マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)
マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

触媒にセンサー、燃え残りのガソリンを再燃焼させるポジティブ・クランクケース・ベンチレーション(PCV)、排気ガス再循環システムといった、環境負荷を減らす新技術を獲得していた。反面、最高出力は98psに留まった。

燃費を重視する人のため、3.3L仕様も用意された。そちらは76ps。排気量1.0L当たり、25psにも届いていなかった。これでは物足りないという場合は、V8エンジンも選ぶことはできた。5.8Lから得た最高出力は、142psだったが。

最も倹約な3.3L直6エンジンによる0-97km/h加速は、23.0秒。フォードとマーキュリーも、この2台が速いとは主張しなかった。

そのかわり、フルサイズ・サルーンと同等の車内空間は与えられていた。豪華で特別な雰囲気づくりにも、気は配られた。5.7-10.6km/Lという今ではパッとしない燃費も、強みの1つにはなった。

6年間ほどに約200万台がラインオフ

惨めなスペックとは裏腹に、モナークとグラナダは北米で桁外れに売れた。マーケティングの鬼才、リー・アイアコッカ氏の手腕により、6年ほどの間に両ブランド合計で約200万台がラインオフしている。

彼は、フォード・マスタングでポニーカーを、リンカーン・コンチネンタル MkIIIでパーソナル・ラグジュアリーカーという、新カテゴリーの創出へ成功。1970年代の稼ぎ頭は、牙の抜かれたマッスルカーやフルサイズではないことも予見した。

マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)
マーキュリー・モナーク(1974〜1980年/北米仕様)    マックス・エドレストン(Max Edleston)

アイアコッカが注目したのは、欧州で作られる上級スポーツサルーンのアメリカ版。1973年に世界を襲ったオイルショックを経て、ダウンサイジングしたモデルが必要だと考えた。

メルセデス・ベンツが作る小柄なサルーンは、北米で支持を急上昇させていた。そのサイズ感を踏襲しつつ、技術やデザイン、価格設定でフォードの基準を満たした高級志向な1台こそ、市場が求めているものだと判断したのだ。

それは同時に、倹約的な小型車に乗っている、と感じさせないことがカギだった。2番目のモデルを、妥協して選びたい人は多くない。

北米各地での顧客調査で、アイアコッカの狙いが的を得ていることは明白だった。発表の翌年、1975年には、グラナダは1番人気の新モデルへ躍進。同時期のW114/W116型メルセデス・ベンツとの比較広告が、効果的に機能してもいた。

記事に関わった人々

  • マーティン・バックリー

    Martin Buckley

    英国編集部ライター
  • マックス・エドレストン

    Max Edleston

    英国編集部フォトグラファー
  • 中嶋けんじ

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

マーキュリー・モナークとフォード・グラナダの前後関係

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