【1989年HSR-IIコンセプト登場】その技術は現在へ繋がる!『時代を切り拓いた』三菱の名車たち

公開 : 2025.04.12 12:45

三菱ギャランΛ(ラムダ)

GTOの後継モデルとして登場した2ドアクーペ。GTOはどちらかといえばスポーティクーペだったが、こちらは1970年代後半のトレンドを反映したスペシャルティクーペだ。

1976年に発売されたセダンのギャランΣ(シグマ)のクーペ版だが、当時流行していた角型4灯ヘッドランプや、サイドまで大きく回りこんだリアウインドウなど、アメリカ車の影響を受けたスタイルだった。

三菱ギャランΛ(ラムダ)
三菱ギャランΛ(ラムダ)    中島仁菜

インテリアも1本スポークのステアリングホイールやヘッドレスト内蔵式のフロントシートを採用するなど、なかなかユニークだった。

三菱ディアマンテ

1989年、消費税が導入された際に自動車税なども変更され、3ナンバーになると高額だった自動車税はサイズではなく排気量に応じたものとなり、大幅に引き下げられた。

1990年に発売された初代ディアマンテは4ドアハードトップの高級セダンで、3ナンバーサイズのボディに2L、2.5L、3Lのエンジンを設定し、買いやすくなった3ナンバー車としてヒットする。

三菱ディアマンテ
三菱ディアマンテ    中島仁菜

当時の高級ドイツ車などを彷彿とさせる逆スラントノーズに、4WDや4WS、アクティブ電子制御サスペンションなども採用していた。

三菱HSR-II

1989年の東京モーターショーに参考出品されたコンセプトカー。三菱では1987年の東京モーターショーで発表したHSR(初代)以来、1997年のHSR-VIまでコンセプトカーを開発したが、その第2弾にあたる。

HSRとは『ハイ・ソフィスティケイテッド・ランニングリサーチ』の略であるという。3LのV6 DOHCツインターボエンジンをフロントに横置き搭載し、フルタイム4WD、4輪ABS、4WS、4輪独立サスペンションや運転支援技術などを採用。その技術のいくつかは、この後に搭載した三菱車に採用されている。

三菱HSR-II
三菱HSR-II    中島仁菜

三菱アウトランダーPHEV

2013年に2代目アウトランダーに追加設定されたPHEV(プラグインハイブリッド車)は、2021年12月にフルモデルチェンジされ、そしてHSR-IIの登場から45年を経た2024年に大幅な改良が施された。

駆動用バッテリーを刷新してEV航続距離は102〜106kmとなり、足まわりの見直しで上質で安定した乗り心地を実現。ヤマハと共同開発したオーディオシステムも装備するなどした。

三菱アウトランダーPHEV
三菱アウトランダーPHEV    中島仁菜

アウトランダーPHEVに採用されているツインモーター4WDや四輪制御技術の『S-AWC』は、HSRが開発し続けた技術を現代に実用化したものといえるだろう。

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 撮影

    中島仁菜

    Nina Nakajima

    幅広いジャンルを手がける広告制作会社のカメラマンとして広告やメディアの世界で経験を積み、その後フリーランスとして独立。被写体やジャンルを限定することなく活動し、特にアパレルや自動車関係に対しては、常に自分らしい目線、テイストを心がけて撮影に臨む。近年は企業ウェブサイトの撮影ディレクションにも携わるなど、新しい世界へも挑戦中。そんな、クリエイティブな活動に奔走しながらにして、毎晩の晩酌と、YouTubeでのラッコ鑑賞は活力を維持するために欠かせない。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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