【1989年HSR-IIコンセプト登場】その技術は現在へ繋がる!『時代を切り拓いた』三菱の名車たち

公開 : 2025.04.12 12:45  更新 : 2025.04.12 16:56

4月11~13日に幕張メッセで開催されている『オートモビルカウンシル2025』には4社の日本車メーカーが出展しています。ここでは篠原政明が、1989年のコンセプトカーHSR-IIなど、三菱の展示内容をご紹介します。

共通のテーマ、『過去が見た未来』

4月11~13日に幕張メッセで開催された『オートモビルカウンシル2025』には4社の日本車メーカーが出展した。ここでは、三菱自動車工業(以下、三菱)のブースと展示車について紹介しておこう。

三菱のブースでは、元F1パイロットで現在は三菱のブランドアンバサダーを務める片山右京氏と、パリダカ2連覇を成し遂げ現在はチーム三菱ラリーアートの総監督である増岡浩氏のトークショーなども行われた。

オートモビルカウンシル2025で三菱が展示する1989年のコンセプトカー『HSR-II』。
オートモビルカウンシル2025で三菱が展示する1989年のコンセプトカー『HSR-II』。    中島仁菜

『時代を切り拓いてきた名車たち』をテーマに、三菱初のVIPカー『デボネア』(初代:1964年発売)、スポーティクーペ『ギャランGTO MR』(1970年発売)、スペシャルティクーペ『ギャランΛ』(ラムダ/1976年発売)、新たな3ナンバー時代を切り拓いたセダン『ディアマンテ』(1990年発売)の4台を展示。

さらに、今回の日本車メーカー共通のテーマである『過去が見た未来』のもとに、1989年の東京モーターショーに参考出品されたコンセプトカー『HSR-II』と、その技術を反映させて現代に登場した、最新の『アウトランダーPHEV』も展示。

またホール外の特設会場では、三菱のイベントで好評の『4WD登坂キット体験イベント』(急勾配の登坂をもしたトレーラーを4WD車で登る)も行われ、多くのファンがそのパフォーマンスを楽しんだ。

三菱デボネア(初代)

三菱初のVIPカーであり、1963年の東京モーターショーで登場(発売は1964年)以来、1986年にフルモデルチェンジされるまで、長年、三菱のフラッグシップとして存続した高級セダン。

登場以来60年を経てもなお威厳すら感じさせるスタイリングは、当時GM社のデザインも手がけたハンス・セバスチャン・ブレッツナーを招聘してデザインされたという。

三菱デボネア(初代)
三菱デボネア(初代)    中島仁菜

当時のアメリカ車をも彷彿とさせるボディはかなり大きく見えるが、実寸は全長4.7m、全幅1.7mを切る5ナンバーサイズに収まっている。

三菱ギャランGTO MR

トヨタ・セリカ(1970年12月発売)とほぼ同時期の同年10月に発売され、スペシャルティカーとして人気を二分した、2ドアハードトップクーペ。

セリカはノッチバック(のちにファストバックの『リフトバック』を追加)のクーペだったが、こちらはファストバックのクーペで、テールエンドをヒップアップさせたダックテールデザインが特徴的だった。

三菱ギャランGTO MR
三菱ギャランGTO MR    中島仁菜

ブラック基調のインテリアには、8連メーターが並ぶ。展示車のMRは1.6LのDOHCエンジン搭載車。1973年には2LのDOHCを搭載してオーバーフェンダーを装着した『GSR』も設定された。

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 撮影

    中島仁菜

    Nina Nakajima

    幅広いジャンルを手がける広告制作会社のカメラマンとして広告やメディアの世界で経験を積み、その後フリーランスとして独立。被写体やジャンルを限定することなく活動し、特にアパレルや自動車関係に対しては、常に自分らしい目線、テイストを心がけて撮影に臨む。近年は企業ウェブサイトの撮影ディレクションにも携わるなど、新しい世界へも挑戦中。そんな、クリエイティブな活動に奔走しながらにして、毎晩の晩酌と、YouTubeでのラッコ鑑賞は活力を維持するために欠かせない。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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