【歴代スープラから4500GTまで】トヨタ『クラシック』が新旧5台のスポーツカーを出展!

公開 : 2025.04.12 12:25  更新 : 2025.04.12 16:52

4月11~13日に幕張メッセで開催されている『オートモビルカウンシル2025』には4社の日本車メーカーが出展しています。ここでは篠原政明が、歴代スープラに加え4500GTも登場した、トヨタの展示内容をご紹介します。

クルマ文化を醸成するための活動を紹介

4月11~13日に幕張メッセで開催されている『オートモビルカウンシル2025』には4社の日本車メーカーが出展した。ここではトヨタの展示内容をご紹介しよう。

会場となった9〜11ホール、その左手前にあるゲートから入ると、奥側に日本車メーカーのブースが並ぶ。

オートモビルカウンシル2025のトヨタ・ブース。
オートモビルカウンシル2025のトヨタ・ブース。    中島仁菜

いちばん左がトヨタだ。トヨタ博物館では自社だけでなく他社のクルマも展示しているトヨタだが、今回は『トヨタ・クラシック』(TOYOTA CLASSIC)なるテーマで出展した。

トヨタ・クラシックとは、トヨタのクルマヘリテージ活動の総称だ。ヘリテージカーの保存や継承をはじめ、末永く乗り続けてもらうためのヘリテージパーツ供給やクルマ文化に触れる場づくり、仲間と集うコミュニティ支援などの活動の総称であるという。

その具体的な例が、過去の人気車種のパーツを復刻販売する『GRヘリテージパーツ』や、旧車レンタカーサービスの『ビンテージクラブby KINTO』、『トヨタ博物館』や『富士モータースポーツミュージアム』、そしてレストアから技能やノウハウを伝承する『グローバル推進センター』などだ。

今回は、このテーマに関連した新旧5台のスポーツカーが出展され、GRヘリテージパーツも数多く展示されていた。

トヨタ・セリカ・リフトバック(初代)

日本初のスペシャルティカーといわれているセリカに、1973年に追加設定されたのが、この『セリカ・リフトバック』だ。リフトバックというネーミングはトヨタの造語だが、ファストバックに大きなテールゲートを備えている。

展示車両は、前述のグローバル推進センターがレストアを行ったもの。オリジナルのセリカよりロングノーズ&ショートデッキの美しいプロポーションは、登場から52年を経た今でも多くのギャラリーを魅了していた。

トヨタ・セリカ・リフトバック(初代)
トヨタ・セリカ・リフトバック(初代)    中島仁菜

トヨタ・スープラ(日本では初代)

日本では『セリカ XX』と呼ばれていたが、『XX』は映画の成人指定を意味するため、海外では『スープラ』となっていたのは有名な話。日本では、1986年に登場したこのモデルからスープラを名乗ったので、日本では初代だが正式には3代目となる。

直線的なスタイルだった先代(2代目セリカXX)よりはグラマラスになり、当時流行していたリトラクタブルヘッドランプは先代から踏襲。日本車離れしたエキゾチックなスタイリングで人気を集め、またツーリングカーレースなどのモータースポーツでも活躍した。展示車両はGRヘリテージパーツを採用してレストアされたものだ。

トヨタ・スープラ(日本では初代)
トヨタ・スープラ(日本では初代)    中島仁菜

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 撮影

    中島仁菜

    Nina Nakajima

    幅広いジャンルを手がける広告制作会社のカメラマンとして広告やメディアの世界で経験を積み、その後フリーランスとして独立。被写体やジャンルを限定することなく活動し、特にアパレルや自動車関係に対しては、常に自分らしい目線、テイストを心がけて撮影に臨む。近年は企業ウェブサイトの撮影ディレクションにも携わるなど、新しい世界へも挑戦中。そんな、クリエイティブな活動に奔走しながらにして、毎晩の晩酌と、YouTubeでのラッコ鑑賞は活力を維持するために欠かせない。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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