【いすゞアッソ・デ・フィオーリ誕生の軌跡:後編】ジウジアーロがデザインしたピアッツァの原点!たった2年で市販化へ

公開 : 2025.06.25 10:45

ISUZU Xになって

そしてアッソ・デ・フィオーリは『ISUZU X』と名を変え、1979年の第23回東京モーターショーに出品されたが、実はアッソ・デ・フィオーリとは仕様が若干異なる点があった。例えばステアリングホールが2本から3本スポークへ、エンブレムが竜から当時のいすゞマークになり、また、アルミホイールのデザインも若干変更されている。

インテリアはジュネーブ・ショー時点では可動しなかったようだが、その後、生産化に向けてできる限り、そのデザインやレイアウトを生かしながら開発が進められた。市販時にサテライトスイッチと呼ばれるメータークラスターは、ジウジアーロ氏のアドバイスを受けながらいすゞでまとめ上げたものである。

オートモビルカウンシル2025に展示されたいすゞアッソ・デ・フィオーリ。
オートモビルカウンシル2025に展示されたいすゞアッソ・デ・フィオーリ。    中島仁菜

ジウジアーロ氏の思いを受けながら、ピアッツァはたった2年で開発、市販された。世界初のメモリー式チルトステアリングをはじめ、クイックアジャスト機構付きの無段階調整式マルチコントロールシート、セミリトラクタブルヘッドランプ、デジタルメーター、サテライトスイッチなど先進的な機能が数多く装備された。

搭載されたエンジンはG200型2リッター直列4気筒DOHCエンジンで、135psを発揮。ちなみにフェンダーミラーもジウジアーロ氏のデザインであるという。

残念ながら実際の販売台数は伸び悩んだようだが、イメージリーダーカーとしていすゞに大きな影響を及ぼしたピアッツァ。そのベースとなった『アッソ・デ・フィオーリ』を復刻し、こうしてその状態を維持していることに敬意を表したい。

(終わり)

記事に関わった人々

  • 執筆

    内田俊一

    Shunichi Uchida

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    中島仁菜

    Nina Nakajima

    幅広いジャンルを手がける広告制作会社のカメラマンとして広告やメディアの世界で経験を積み、その後フリーランスとして独立。被写体やジャンルを限定することなく活動し、特にアパレルや自動車関係に対しては、常に自分らしい目線、テイストを心がけて撮影に臨む。近年は企業ウェブサイトの撮影ディレクションにも携わるなど、新しい世界へも挑戦中。そんな、クリエイティブな活動に奔走しながらにして、毎晩の晩酌と、YouTubeでのラッコ鑑賞は活力を維持するために欠かせない。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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