【新型の全貌公開はもうすぐ】ホンダのブースはプレリュード祭り!単なるデートカーではない歴代モデルたち

公開 : 2025.04.12 17:05

4月11~13日に幕張メッセで開催されている『オートモビルカウンシル2025』には4社の日本車メーカーが出展しています。ここでは篠原政明が、歴代プレリュードが勢ぞろいした、ホンダの展示内容をご紹介します。

世代ごとに国産車初や世界初のメカニズムやテクノロジーを採用

4月11~13日に幕張メッセで開催された『オートモビルカウンシル2025』には4社の日本車メーカーが出展した。ここでは、本田技研工業(以下、ホンダ)のブースと展示車について紹介しておこう。

他の日本車メーカーのブースは、過去の象徴的なコンセプトカーや歴代のエポックメーキングなクルマ、それに現行モデルを対峙させるような展示が見られた。また、ジョルジェット・ジウジアーロ氏が関わったモデルがないホンダゆえ、氏に関連した展示もなかった。

オートモビルカウンシル2025のホンダ・ブースはプレリュード一色。
オートモビルカウンシル2025のホンダ・ブースはプレリュード一色。    中島仁菜

それでも、ホンダのブースは注目を集めていた。それは、今年(おそらくは秋ごろと噂されている)新型プレリュードをメインステージに、その前には初代から5代目までの歴代プレリュードをズラリと並べたから。さながら『プレリュード祭り』を展開していたのだ。

プレリュードというと、大ヒットした2代目や3代目のイメージから『デートカー』、あるいは『デザインコンシャスのスペシャルティクーペ』と思われがちだが、実は世代ごとに国産車初や世界初のメカニズムやテクノロジーを採用している。

そのフィロソフィーは、新型プレリュードにも受け継がれている。2023年のジャパン・モビリティショーでワールドプレミアされて以来、プロトタイプの試乗やインテリアの公開など、さまざまなメディアに紹介されて注目を集めている新型プレリュード。その全貌が公開されるのは、もうすぐだ。

初代ホンダ・プレリュード

1978年に登場した初代プレリュードは、ホンダとしては1974年に販売終了した145クーペ以来の、久々のクーペモデルだった。当時のシビック(2代目)をベースにしているが、ボディ剛性は強化されていた。

全長は4090mmとコンパクトだが、全幅は1635mmと当時のクルマとしてはワイドなほうであり、全高も1290mmにおさえられたロー&ワイドなプロポーションがスペシャルティクーペらしかった。

初代ホンダ・プレリュード
初代ホンダ・プレリュード    中島仁菜

日本車初の電動開閉サンルーフや、スピードメーターとタコメーターを同心円状に配した集中ターゲットメーターの採用などで注目されたが、日本での人気は今ひとつで、むしろヨーロッパなど海外で人気が高かった。

2代目ホンダ・プレリュード

1982年に『FFスーパーボルテージ』というキャッチコピーのもと、ラヴェルの『ボレロ』をBGMとしたTVコマーシャルとともに登場した2代目プレリュード。

当時流行していたリトラクタブル式ヘッドランプや低いボンネットなど、スポーツカーと見紛うようなプロポーションは、2ドアクーペというボディスタイルこそ先代と共通なものの、まったく別ものに進化していた。

2代目ホンダ・プレリュード
2代目ホンダ・プレリュード    中島仁菜

そのスタイリングは女性からも人気を集め大ヒットモデルとなり、『プレリュード=デートカー』というイメージを世の中に定着させた。

メカニズム的にはダブルウィッシュボーンのフロントサスペンションや国産車初の4輪ABS(アンチロックブレーキ、当時はA.L.B.と表記)も採用し、単なるデートカーではないことも示していた。

記事に関わった人々

  • 執筆

    篠原政明

    Masaaki Shinohara

    1958年生まれ。某自動車雑誌出版社をめでたく? 卒業し、フリーランスのライター&エディターに。この業界に永くいるおかげで、現在は消滅したものを含めて、日本に導入されている全ブランドのクルマに乗ってきた……はず。クルマ以外の乗りものもけっこう好きで、飛行機や鉄道、さらには軍事モノにも興味があるらしい。RJC会員。
  • 撮影

    中島仁菜

    Nina Nakajima

    幅広いジャンルを手がける広告制作会社のカメラマンとして広告やメディアの世界で経験を積み、その後フリーランスとして独立。被写体やジャンルを限定することなく活動し、特にアパレルや自動車関係に対しては、常に自分らしい目線、テイストを心がけて撮影に臨む。近年は企業ウェブサイトの撮影ディレクションにも携わるなど、新しい世界へも挑戦中。そんな、クリエイティブな活動に奔走しながらにして、毎晩の晩酌と、YouTubeでのラッコ鑑賞は活力を維持するために欠かせない。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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