【マツダS8Pヒストリー:前編】ジウジアーロがデザインした幻のコンセプトカー!イタリアと広島を繋いだ、ひとりの日本人

公開 : 2025.06.26 11:45

マツダは『オートモビルカウンシル2025』に、カロッツェリア・ベルトーネ時代にジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたコンセプトモデル、『S8P』を展示しました。クルマの成り立ちについて、内田俊一が前編、後編に分けてレポートします。

ピラミッド構想の頂点はカロッツェリアに

マツダは『オートモビルカウンシル2025』に、カロッツェリア・ベルトーネ(以下ベルトーネ)時代にジョルジェット・ジウジアーロがデザインしたコンセプトモデル、『S8P』を展示した。そこでこのクルマの成り立ちについて、詳しくお伝えしたい。

このクルマが誕生したきっかけは1962年3月27日、マツダ(当時の東洋工業)とカロッツェリア・ベルトーネとの間で交わされた、乗用車デザイン技術に関する技術援助契約が発端だ。イタリアの同技術には定評があり、中でもベルトーネは意欲的なデザインで世界的名声があったことから対象となったようだ。

オートモビルカウンシル2025で展示されたマツダS8P。
オートモビルカウンシル2025で展示されたマツダS8P。    中島仁菜

果たして、それだけでベルトーネを選んだのか? 実はそこに至るまでにふたつのストーリーがある。

マツダは1960年に『ピラミッドビジョン構想』を策定。これは所得分布が末広がりのピラミッド状態であることから、土台部分の大衆層には購入しやすい低価格、小排気量の軽自動車などを提供。

そこから少しずつ排気量やボディサイズなど車格が上がるにつれてピラミッドの頂点に近づいていき、その頂点は富裕層や法人利用のための高級車を位置付けた。そう、フルラインナップメーカーを目指したのである。

そこでマツダ初の乗用車『R360クーペ』が登場。その後『キャロル』や『ファミリア』、そして上級セダンの『ルーチェ』が1966年8月にデビューするのだ。

イタリアと関係を持ち始めたタイミング

デザインに関しても、日本のインダストリアルデザイン界の草分け的存在であった小杉二郎氏へ、1950年に発売された三輪トラックのデザインを依頼。

1953年には嘱託契約を結んだほか、1958年からは社内デザイナーの採用を開始。1959年には設計部門にデザインを専門に行う『機構造型課造型係』を新設し、小杉氏の指導のもとマツダのデザイン部門がスタートしたのである。

マツダS8Pは、若き日のジョルジェット・ジウジアーロ氏がデザインした。
マツダS8Pは、若き日のジョルジェット・ジウジアーロ氏がデザインした。    中島仁菜

ファミリアまでは小杉氏をはじめとした社内デザインを採用したが、上級クラスは海外のカロッツェリアに依頼することでデザインを学ぶことを検討。

ちょうど日産はピニンファリーナ、プリンスはアレマーノ、ダイハツはビニャーレなど、他メーカーがイタリアのカロッツェリアと関係を持ち始めたタイミングでもあった。その結果としてベルトーネが採用された。

広島とイタリアと

もうひとつのストーリーは、イタルデザインをジウジアーロと一緒に立ち上げた宮川秀之氏が関係している。1960年に世界一周をバイクで敢行している際に、イタリアへ立ち寄った宮川氏はイタリアのモータリゼーションに触れ、カーデザインの素晴らしさに惚れ込だ。そしていつか自分も、カーデザインの仕事がしたいと思うようになったそうだ。

その時にちょうどトリノ・ショーが開催されており、そこを訪れた宮川氏に運命的な出会いが待っていた。会場にはプリンスがブースを出し、そこには『スカイラインスポーツ』が2台展示されていた。そしてその傍らには着物を着たイタリア人女性が。彼女こそ後の宮川夫人になるランチアの重役の娘、マリーザさんだった。

オートモビルカウンシル2025の会場にはジョルジェット・ジウジアーロ氏(右)が来訪。
オートモビルカウンシル2025の会場にはジョルジェット・ジウジアーロ氏(右)が来訪。    中島仁菜

実は、彼女は日本に興味を持っていて日本語も少し話せたこともあり、宮川氏とマリーザさんは親しくなる。そして彼女はその年の12月には日本に留学する予定になっており、その先が広島だったのである。

その縁で当時のマツダ社長、松田恒治氏にも出会い、そこで宮川氏の話が出たことから、マツダと宮川氏が結びつく。

その流れから当時ベルトーネに在籍し、宮川氏が注目していた若きジウジアーロにデザインを依頼することになったのだ。

マツダはベルトーネに対し5~6人乗り小型乗用車のデザインを依頼し、1962年夏に試作第1号車が完成。次いで2次試作、3次試作を経て、1963年秋に開催された第10回全日本自動車ショーに『ルーチェ』として出品すると、曲線を生かしたヨーロッパ調のデザインは会場で強い注目を浴びたと伝えられている。

(後編につづく/6月27日公開予定)

記事に関わった人々

  • 執筆 / 撮影

    内田俊一

    日本自動車ジャーナリスト協会(AJAJ)会員。1966年生まれ。自動車関連のマーケティングリサーチ会社に18年間在籍し、先行開発、ユーザー調査に携わる。その後独立し、これまでの経験を生かしてデザイン、マーケティング等の視点を中心に執筆。長距離試乗も得意であらゆるシーンでの試乗記執筆を心掛けている。クラシックカーの分野も得意で、日本クラシックカークラブ(CCCJ)会員でもある。現在、車検切れのルノー25バカラとルノー10を所有。
  • 撮影

    中島仁菜

    Nina Nakajima

    幅広いジャンルを手がける広告制作会社のカメラマンとして広告やメディアの世界で経験を積み、その後フリーランスとして独立。被写体やジャンルを限定することなく活動し、特にアパレルや自動車関係に対しては、常に自分らしい目線、テイストを心がけて撮影に臨む。近年は企業ウェブサイトの撮影ディレクションにも携わるなど、新しい世界へも挑戦中。そんな、クリエイティブな活動に奔走しながらにして、毎晩の晩酌と、YouTubeでのラッコ鑑賞は活力を維持するために欠かせない。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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