佐藤琢磨の息子、凜太郎奮闘中! セナ、シューマッハらを輩出した登竜門 マカオGP取材記(後編)【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #3】

公開 : 2026.01.22 11:45

エンジニアと自動車専門誌編集者という経歴で膨大な取材量を持つ大谷達也による、『どこにも書いていない話』を執筆する不定期連載です。第3回はセナ、シューマッハ、佐藤琢磨を輩出した登竜門マカオGPがテーマ。その後編です。

佐藤琢磨との再会

レポートの最後に、マカオGPで仕入れてきたちょっとした土産話を披露したい。

プレスセンターに入ろうとしたところ、旧知の松本浩明カメラマンと遭遇した。彼は20年以上も佐藤琢磨選手を追いかけてきた人物で、そんな松本カメラマンがいるということは琢磨選手がこのマカオにやってきていることを意味する。

マカオGPにて佐藤琢磨(右)と息子の凜太郎選手(左)。
マカオGPにて佐藤琢磨(右)と息子の凜太郎選手(左)。    大谷達也

彼に確認したところ、やはりそのとおりだという。早速、松本カメラマンに頼んで琢磨選手と引き合わせてもらうことにした。

数ヵ月ぶりで顔を合わせた琢磨選手は、いつもどおりの笑顔で私を迎えてくれた。そして彼がマカオにやってきたのは、息子の佐藤凜太郎選手がF4レースに挑戦するのを応援するためだと教えてくれた。

私自身、凜太郎選手のことは彼がまだ幼かった頃からよく知っているし、日本のFIA F4選手権に参戦していた昨年には何度か応援に駆けつけたこともある。「これは面白いことになってきた」と私は思った。

「これは面白いことになってきた」

2024年にホンダレーシングスクール鈴鹿でスカラシップを獲得した凜太郎選手は、ホンダのサポートを得て2025年フランスF4選手権に挑戦したものの、慣れない環境のなか、シリーズ9位に食い込むのが精一杯だった。

『それでも立派な成績』と捉えることもできるが、2026年のステップアップを目論むなら、さらに起爆剤となる材料が欲しいところ。そうした思いもあって、マカオでのF4レースに挑んだのであろう。

マカオGPのピットにて、佐藤凜太郎選手(右)と筆者。
マカオGPのピットにて、佐藤凜太郎選手(右)と筆者。    大谷達也

2024年のフォーミュラ・リージョナル参戦(結果はリタイア)に続く2度目のマカオとなった凜太郎選手は、フリープラクティスでアクシデントを経験しながらも、決勝レースのスターティンググリッドを決める予選レースでは3位フィニッシュと健闘。

しかし、スタート前に後続ドライバーに抜かされた後、自分のポジションに戻る際の手順にルール違反があったと見なされてペナルティを科せられ、結果的に11番グリッドから決勝レースに挑むこととなった。

ところが、混戦となった決勝レースでは着実にポジションを上げていき、最終的には3位でフィニッシュしたのである。決勝レース中に発生したアクシデントにライバルたちが巻き込まれるという幸運はあったものの、抜きにくいマカオのコースで11番グリッドから3位まで挽回したその手腕はホンモノ。

今後もモータースポーツ界でキャリアを積み重ねて行くにはさらなる奮闘が必要なのも事実だが、父親譲りの粘り強さを発揮して、さらに上を目指して欲しいものである。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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