セナ、シューマッハ、佐藤琢磨を輩出した登竜門 マカオGP取材記(前編)ウラカンGT3最後の雄姿【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #3】

公開 : 2026.01.20 11:45

エンジニアと自動車専門誌編集者という経歴で膨大な取材量を持つ大谷達也による、『どこにも書いていない話』を執筆する不定期連載です。第3回はセナ、シューマッハ、佐藤琢磨を輩出した登竜門マカオGPがテーマ。その前編です。

かつては『F1への登竜門』

昨年末に『マカオGP』を取材してきた。

かつては『F1への登竜門』とされたマカオGPを取材するのは15年振りのこと。『グランプリ』のタイトルがかけられた初のF3レースである、1983年のマカオGPを制したアイルトン・セナが、その後、モータースポーツ界のスターダムへと一気に駆け上がっていったことは皆さんもご存知のとおり。

昨年末、15年振りにマカオGPを取材。
昨年末、15年振りにマカオGPを取材。    ランボルギーニ

以来、ミハエル・シューマッハーや佐藤琢磨などを輩出したものの、やがてF1ドライバーへの昇格に必要な予算が高騰すると、『一発勝負』のマカオGPで優勝したことを重んじる傾向は徐々にすたれていき、2001年の勝者である佐藤琢磨を最後に、F1で活躍できるドライバーが誕生することはなかったように記憶する。

私がマカオから足が遠ざかった理由は、そんなところにもあった。

かつてのF3レースが『FIA F3』と名前を変えてF1グランプリの前座イベントと位置付けるようになった影響もあり、2024年からマカオGPは、『フォーミュラ・リージョナル』と呼ばれるレースにタイトルが与えられるようになった。これは、FIA F3とFIA F4の中間に位置するカテゴリーである。

もっとも、マカオGPの週末に開催されるのはフォーミュラカーによるグランプリレースだけではない。むしろ、1954年に地元のアマチュアレーサーが立ち上げたというイベントの成り立ちを考えれば、ロードカーをベースとしたツーリングカーやGTカーによるレースのほうがマカオの伝統に則しているといってもいいくらいだ。

その代表格が1972年に始まったツーリングカーを対象とする『ギアレース』であり、2008年に始まった『マカオGTカップ』(現在の名称はFIA GTワールドカップ)といえるだろう。

ウラカンGT3参戦は実質的に最後

今回マカオGPを取材したのは、ランボルギーニに声をかけてもらったのがきっかけだった。2015年にデビューした『ランボルギーニ・ウラカンGT3』のレース参戦は今年のFIA GTワールドカップが実質的に最後になるというのが、その理由だ。

2026年のセブリング12時間レースでは、ウラカンの後継モデルであるテメラリオのGT3モデルがデビューを果たす。それでも、一部のプライベートチームは今後もウラカンGT3でレースを戦い続けるだろうが、ランボルギーニが支援する『セミワークスチーム』の活動がテメラリオGT3へとシフトしていくのは明らか。

2015年にデビューした『ウラカンGT3』のレース参戦は実質的に最後となる。
2015年にデビューした『ウラカンGT3』のレース参戦は実質的に最後となる。    ランボルギーニ

そこでウラカンGT3の『最後の勇姿』をマカオで見届けて欲しいというのが、ランボルギーニ側の意向だったのである。

歴史を振り返ると、GT3レースに参戦した最初のランボルギーニはウラカンの先代にあたるガヤルドだった。しかし、ガヤルドGT3がドイツのライター・エンジニアリングによって開発されたものだったのに対して、ウラカンGT3はランボルギーニのモータースポーツ部門であるスクアドラコルセによって開発されたという違いがある。

つまり、ランボルギーニの本社があるサンタアガタ・ボロネーゼで生まれた最初のGT3マシンが、ウラカンGT3なのだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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