至宝のレーシング・ディーノ、196S

公開 : 2017.05.14 16:00  更新 : 2017.05.29 18:52

すべてがスーパー・レスポンシブ

重たいレーシング・クラッチゆえに発進にはコツが必要だが、走り始めてしまえばディーノのシャシーは活き活きと反応してくれる。サスペンションはフロントが独立、リアはリジッドのライブ・アクスル。コッティンガムによれば現代の一般的なサーキットに合わせて硬いセッティングにしているとのことで、ここミルブルックでは「注意が必要」だという。実際、バンプを越えるときリアがブレイクしがちだ。しかし、すべてがスーパー・レスポンシブ。ブレーキング中にノーズ・ダイブを感じることはなく、ダンロップ製のディスク・ブレーキは強力なストッピング・パワーを発揮してくれる。ドラムだった初期のテスタロッサの経験を経て、フェラーリはこのクルマにディスクを採用した。ステアリングはシャープで、その重さも理想的だ。5段M/Tはクロスレシオで、車重はわずか680kg。ディーノがドライバーを触発し始める。

居心地のよいコクピット。

ハードに攻めても、シャシーは驚くほど落ち着いたマナーを披露する。実績あるエース・ドライバー、ジャン・マルク・グーノンやサム・ハンコックがグッドウッドでこのクルマのキャラクターを絶賛したのも納得だ。「ディスク・ブレーキのおかげで、コーナーの深くまで侵入できる」とコッティンガム。「しかも、とても俊敏だ。サーキットではバランスの良さを探求できるだろう。ただし、このクルマのポテンシャルをフルに味わうには、限界まで攻める必要があるけどね」

ミルブルックはタイト・ターンが多いし、坂の頂上がブラインド・コーナーだったりするところもあって、なかなか思うように攻められない。オープンな高速コーナーでディーノのニュートラルなステア特性を試したいのだが、「シャシーのバランスは最高だけど、真剣に飛ばすとハンドリングは綱渡りになるよ」というコッティンガムの言葉を受けて、フラストレーションを飲み込むしかなかった。

アグレッシブな本領

ミルブルックで数ラップを重ねるうちに、高回転型のV6もそのアグレッシブな本領を発揮し始めた。大事なのは4000rpm以上を保つことだ。積極的にギア・チェンジすれば難しくはない。エキゾースト・ノートはV12の官能的な雄叫びに比べると荒々しい低音だが、それは試乗を終えてなお耳に残るものだった。

頑丈なV6は僅かにオフセットして搭載されている。

 

シャシーNo:0776

フェラーリが初めてV6にトライしたのは1958年のことだった。しかしこのツインカム2ℓ(2.9ℓ版もあった)はシングル・シーター用に設計したもの。翌59年、信頼性を高めたSOHCの2ℓをスポーツカー・レースに投入し、ジュリオ・カビアンカのドライブでモンツァのデビュー戦を制したことを受けて、同年後半に3台が生産された。

ここに紹介しているシャシーNo:0776は、59年の11月27日から12月7日にかけて行われたバハマ・スピード・ウィークでデビューした。ドライバーはリカルド・ロドリゲス。ニューヨークからバハマの首都ナッソーに向けて船積みしたのは、アメリカでのフェラーリのレース活動を担っていたノース・アメリカン・レーシング・チーム(NART)だった。リカルドの父親が17歳の息子の出走費用をすべて負担する、とNARTのボスのルイジ・キネッティに約束したからだ。最初に出走した2ℓクラスの5周レースで、ロドリゲスは4位を獲得した。

次のレースでロドリゲスはRSKを駆るボブ・ホルバートと激闘を繰り広げ、地元のファンを湧かせた。2周目でロドリゲスがトップを奪って以後はホルバートと抜きつ抜かれつ。最終ラップで周回遅れのアバルトやパナールなど遅いクルマを処理する間に、経験豊かなホルバートに逃げ切られてしまった。メイン・レースのナッソー・トロフィーは2ℓクラスと大きなマシンの混走で、ここにもエントリーしていたロドリゲスだが、メカニックがギアボックスを破損。スペアパーツがなく、残念ながら出走を断念する以外になかった。

3ヶ月後の60年3月、0776は2台の3ℓV12テスタロッサと共にフロリダのセブリング12時間レースに参戦。フラットだが荒れた路面のコースで、ロドリゲス兄弟はトップを走るスターリング・モスのマセラティ・バードケージやピート・ラブリーのテスタロッサを追い回したが、夕暮れを前にクラッチ・トラブルでリタイアした。

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