ミニ生誕60年 歴史と思い出を振り返る 限界への挑戦、まだまだ続く

公開 : 2019.03.03 07:50

番外編1:AUTOCARスタッフが語る ミニの思い出

ジェームズ・ルパート

1978年だったが、1963年式オースティン・ミニのエンジンが掛からないという不具合に見舞われた。スターターが問題であり、その交換費用はたしか8ポンドほどだったが、当時のわたしには、それよりもガソリン代やパーツ代の方が重要だった。その結果、どこでも押し掛けをするほうを選んだのだが、相手はミニであり、坂道には助けられた。それでも、坂道ばかりというわけにはいかなかった。

2015年、今度は1964年式ミニ・クーパーのエンジンが掛からなくなったのだが、おそらく、その原因は中国製パーツにあった。何度か押し掛けを試みたものの、恥ずかしながら、電話で助けを呼ぶハメになった。齢をとったということだが、相変わらずミニだけはタイムレスな存在だ。

リチャード・ブレムナー

数年前、何人かの友人とともにロングブリッジ工場で8番目に生産されたミニを購入したが、ボディは錆びつき、いくつかのパーツが失われてはいたものの、驚くほぼオリジナル度の高い車両だった。

結局、オークションに出品することにしたのだが、なんと4万250ポンド(580万円)もの値がつき、ひとびとを驚かせる結果となった。

その結果、相場が動き、すでに購入していた3台のMk Iミニにも影響を及ぼすことで、われわれには思いもかけない儲け話となった。新車当時、こちらのほうが高価なモデルだったのだ。

アンドリュー・フランケル

かつてドゥーガルという友人がミニに乗っていた。わたしはフィエスタXR2を借りていたのだが、17歳と分別の無い年齢らしく、彼は1.0ℓのクラブマンで、ワインディングロードの急な下りで、XR2を追い抜こうと考えたのだ。

その結果、ミニは道路を飛び出し、木へと突っ込んでいった。急いで煙を上げて停まっているミニへと近づくと、ステアリングに突っ伏しているドゥーガルの姿が見えた。

最悪の事態を覚悟しながら、大急ぎでミニのドアを開けると、奴は頭をあげ、目を開けてこう言ったのだ。「死んだと思ったんじゃないか?」

それでも、この男が反省することはなかった。

コリン・グッドウィン

何台かのミニに乗ってきたが、最初の1台は思いがけず手にいれたものだった。

確か1985年だったと思うが、たまたまガソリンスタンドで会った義姉の男友達は、エンジンルームを覗き込みながら、「このクルマはダメだ」と大声で言い、続けて「このポンコツを欲しくないか?」とわたしに聞いてきたのだ。

手持ちが20ポンドとロスマンズのタバコ1箱しかなかったが、彼は「それでいいよ」と言い、わたしはそのままミニの乗って帰ることになった。

オレンジに塗り直したこのミニには、少ししか乗らなかったが、その間にちょっとした故障を直したりして、最後は300ポンドで女の子に売りさばいた。

彼女はこのミニをヤッファと名付け、とても幸せそうだった。

スティーブ・クロプリー

手に入れたのは1962年製の848ccエンジンを積んだミニだった。完ぺきにオリジナルの状態を保った車両で、スライド式ウインドウと大きなドアポケット、外付けのドアヒンジ、フロアマウントのスターターに、「スパゲッティレバー」と呼ばれた直結式の長いシフトレバーなどの特徴を備えていた。

100万マイルほど走破したこのミニで、ドライバーが最初に耳にするのは、タイミングチェーンからの異音だったが、それでも、車両自体のコンディションは良好で、特にウェット路面を摩耗したタイヤで走った時など、つねにこのクルマの運転は楽しかった。

実際、このミニはこれまで手に入れたなかで、もっとも運転が楽しく、ハンドリングの正確なクルマだった。もしかしたら、これからもそうかも知れない。

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