【光るタイヤに24金レリーフ】リンカーン・ベースの究極のカスタムカー 後編

公開 : 2020.04.18 16:50  更新 : 2021.03.05 21:27

ショーマンとして誇張気味だった機能

「当時はクルマ向け以外の部品や材料も使っており、配線部材の種類も大幅に異なります。オリジナルの状態に戻すことと、同じ機能を現代でも再現することとの、絶妙なバランスを取る必要がありました」

レストアが進むにつれて、ゴールデン・サハラIIの機能は、プロモーション・ツアーでは誇張気味にアピールされていたと判明する。ジム・ストリートのビジネスセンスを考えれば不思議ではない。

ゴールデン・サハラII(1954年)
ゴールデン・サハラII(1954年)

「事前にテストしていたのかはわかりませんが、いつくかの機能は本当には付いていませんでした。例えば、アンテナ内蔵のフロントバンパー・コーン。レーダー機能を備えたクルマだとジム・ストリートは話していました。ですが、その機能は実際にはありません」

もしかすると、特許は申請していたもしれない。エンジンも532psのハイオクタン仕様だとジム・ストリートは触れ込んでいたが、実際には通常のリンカーン・カプリのものだった。

排気量5200ccのYブロックと呼ばれるV8エンジンで、2バレル・キャブレターを搭載する。「ショーマンとしての気持ちの現われでしょう。80%くらいは本当でも、20%くらいはショーカーとしての誇張です」 とオルセン。

アロンゾは3カ月でなんとかゴールデン・サハラIIを仕上げ、ジュネーブ・モーターショーへの準備が整った。しかし、その後も計画通りだったわけではない。

輸送中にボディはダメージを受け、バンパー・コーンを再現する必要に迫られた。パテでの応急的な2度目の復元を済ませ、何とかイリノイ州からスイスへと飛び立った。

配線図もない電装系を解読し復元

ゴールデン・サハラIIは再塗装されただけでなく、フロントノーズの形状には少し手が加えられている。フロント部分の装飾は、ジム・ストリートが所有していた頃にぶつけられ、凹んでいた。

1950年代にはなかった技術が、復元に重要な役割を果たした。アロンゾは、3Dプリンターを用いて、破損していたハブキャップを新調した。「オリジナルを3Dスキャンして、出力した後にバフで磨いてあります。オリジナルと瓜二つで、見分けられないでしょう」

ゴールデン・サハラII(1954年)
ゴールデン・サハラII(1954年)

テールレンズの復元には、より複雑な作業が求められた。「同じように見えますが、個々で形状が異なります。スキャニングしてから樹脂で出力し、その部品で型を製作。レンズの色に合うアクリルを、型に流し込んで作りました」 と振り返るオルセン。

最も手を焼いた作業は、複雑な電装系システムを解読し、復元すること。将来の修理も考えずに作られており、そもそも配線図すら存在しない。1番簡単そうだった、テレビから手を付けたそうだ。

「クルマからテレビを取り出すと、子供の頃に見ていた、UHF/VHFのコネクターが用いられていました。アタリ社のビデオゲームをテレビにつないだのを思い出しましたよ」

「テレビに電気を供給するのと一緒に、小型のDVDプレイヤーを動かすこともできました。ジム・ストリートの足跡映像を、ループで映し出せるようにしてあります」 オルセンが笑う。

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