【パリ生まれの青いモンスター】ル・マンを戦った848ccのDBル・モンスト 後編

公開 : 2020.05.09 16:50  更新 : 2020.12.08 11:04

現役時代に目撃していた現オーナー

このDBル・モンストは、1990年初めにクラシックカーが収められていたガレージで損傷してしまう。フェラーリ・デイトナとぶつかり、グラスファイバー製のボディが割れてしまったのだ。

修復で発見されたのは、フレンチブルーのボディの下に隠された黒の大きなゼッケン。ル・マンに参戦し、勝利した時に付けていたものだった。

DBル・モンスト(1959年)
DBル・モンスト(1959年)

2020年のいま、DBル・モンストに取り付けられているのは、ツインではなくシングルのソレック・スキャブレター。ル・マン仕様のギアも交換されている。どちらも、一般道を走りやすくするための変更といえる。

肉薄の使い込まれたシートは、ギルオーディンとチームメートのジャン・フランソワ・ジャガーが座っていたモノのまま。「DBル・モンストを最後に見たのは、1973年のル・マン。50周年を迎えた年で、ギルオーディンとジャック・レイがそばにいました」

「1973年、わたしはマトラのチームでフェラーリと戦っていました。担当はピットでのシグナル出し。レースの終盤にはフェラーリに勝ったことを示す、馬の背中に雄鶏が乗ったサインを用意しました」 と振り返るローランド。

デイトナによるダメージを受けたDBル・モンストは、前のオーナーが悪くない値段で手に入れた。そのまま保管していたらしい。

その後に手に入れたローランドは、フィアット・ティーポの後ろにつないだトレーラーに乗せて、自宅へDBル・モンストを持って返った。ほぼ休まず、1年を掛けてクルマを仕上げたという。

小さなレーサーが勝利を目指した創意と工夫

マトラ社のワークショップで得た経験が、大きく役に立ったことは間違いない。オーナーズクラブのメンバーが所有するクルマ数台を用いて、壊れた前後部分のボディを再現する型を作った。

残りの部分に損傷はなく、ボディが治るとレース・イベントへすぐに復帰できた。ローランドは修復の中で、ギルオーディンが仕込んだ仕掛けに気付いている。

DBル・モンスト(1959年)
DBル・モンスト(1959年)

ブレーキライトは、フロントではなく、リアのパッドがディスクに触れたときのみ、点灯するようになっていた。ドライバー同士の心理戦を考えた変更だろう。

エンジンルームには、電気レギュレーターが2基備わっていた。1つ目が故障しても、配線を差し替えればすぐに復帰できるようになっていた。

小さなボディには、好奇心をそそる内容が詰まっている。フランス最大のレースに向けた、熱い思い。モータースポーツに効率性を求めた特別な世界がある。

DBル・モンストは、DB社、ドゥーチェ・エ・ボネにとっても最後のマシンとなった。創業したシャルル・ドゥーチェとルネ・ボネは、ル・マンでの戦いを終えると、別の道をたどることになったのだ。

シャルルはCD社を立ち上げた一方で、ボネはルノーとチームを組んで、ジェットを生み出した。そのクルマは1965年からはマトラ社から販売された。ローランドが多くの技術を身に着けた会社だ。

直線スピードではない。レースへの愛と情熱。小さなレーサーが勝利するための、創意と工夫。

本来は英国らしい考え方だと思うが、フランスにも存在していた。DBル・モンストには、このクルマだけの小宇宙があった。

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