【ストリートレースを彩った2台】シボレー・コルベット C2とジャガーEタイプ 前編

公開 : 2020.07.19 07:20  更新 : 2022.08.08 07:38

映画スターにも愛されたEタイプ

新しいジャガースポーツカーは、英国でも大ヒットを放つ。しかし工場が稼働してから最初の4か月間は、輸出のために製造された。

Eタイプは工場を出ると大西洋を超え、アメリカへ上陸。英国製スポーツカーに対する、人々の欲求を満たした。クラーク・ゲーブルやハンフリー・ボガート、タイロン・パワーといった映画スターたちもステアリングを握った。

ジャガーEタイプ S1 3.8(1961年〜1968年)
ジャガーEタイプ S1 3.8(1961年〜1968年)

ジャガーの創設者、ウィリアム・ライオンズがしっかり見定めていた市場だった。当時のアメリカでは、スポーツカーを自国モデルで選ぶなら、1954年発表のシボレーコルベット C1だけという状態。1960年代が始まる頃には、古さを隠せずにいた。

初代コルベットも、1955年には4.3LのV8エンジンが追加され、改良は受けていた。しかし時代遅れのリジットアクスルとサスペンションは手つかずで、ハンドリングは期待以下。

ボディデザインも1950年代を強く匂わせた。ヘッドライトが4灯になり、ボディサイドにえぐられたカーブが追加されるものの、エイジングケアとしては不十分だった。

ただし、ジャガーEタイプが発表される頃、次期型コルベットの開発は順調に進んでいた。シボレーでデザイン・チーフを務めるビル・ミッチェルがスタイリングを、エド・コールやゾーラ・アーカス・ダントフなどが設計を進めた。

ビル・ミッチェルもエド・コールも、欧州のスポーツカーに好んで乗っていた。特に英国コベントリー生まのビッグキャット、ジャガーを。

スティングレー・レーサーからコルベットC2へ

初代コルベットもモータースポーツのDNAを授かり、サーキットを走った。しかしアメリカの自動車協会から危険性が指摘され、シボレーは1957年にレースを一時撤退。ビル・ミッチェルは水面下で、スティングレー・レーサーと呼ばれるレースカー・プロジェクトを進めた。

ベースとしたのは、スポーツレーサー、コルベットSSのシャシー。ディック・トンプソンのドライブで、1960年にSCCAナショナル・チャンピオンシップを優勝。次期コルベット、C2のインスピレーションを生むことになるマシンだ。

シボレー・コルベット C2スティングレー(1963年〜1967年)
シボレー・コルベット C2スティングレー(1963年〜1967年)

未来的なスタイリングは、カーデザイナーのピート・ブロックによるもの。1957年のQコルベット・プロトタイプと、多くの要素で共通している。同時期にミッチェルはトリノを訪れ、アバルトアルファ・ロメオを探訪。その影響も受けている。

しかし、途中でピート・ブロックは別のプロジェクトへ移動。次期コルベット・クーペとロードスターへ、スティングレー・レーサーのデザインを落とし込む責任は、ラリー・シノダへ任された。

初代コルベットC1は、当初300台のみをFRPボディとし、量産が進む中でスチールボディへ変更する予定だった。しかし期待ほどのヒットは得られず、そのまま1963年に誕生したコルベット C2へもFRPボディが与えられた。

コルベット C2が得た進化として、新しいラダーフレーム・シャシーがある。クロスブレースを省略しつつ、剛性を向上させた。

シャシーは軽くなったものの、スチール製ブレースが入ったボディの重量は、初代の2倍ほどへ増加。結果的には相殺しているのだが。

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