近年フェラーリ変革を象徴する存在、エンリコ・ガリエラ(後編)固く閉ざれた門を開いた人物【不定期連載:大谷達也のどこにも書いていない話 #7】

公開 : 2026.06.30 11:50

エンジニアと自動車専門誌編集者という経歴で膨大な取材量を持つ大谷達也による、『どこにも書いていない話』を執筆する不定期連載です。第7回は、6月23日に退職が明らかになったフェラーリのエンリコ・ガリエラについて語ります。その後編です。

「最も嫌だったのは、ノーと答えること」

6月23日、フェラーリからマーケティング&営業部門トップに関する人事異動が発表されました。7月1日付けでマッシミリアーノ・ディ・シルヴェストレが就任し、16年以上その職にあったエンリコ・ガリエラは、新たな道を求めて退職するとのこと。多くの取材でエンリコと交流のあった大谷達也のレポート、その後編です。

およそ10年前、ガリエラはドライブというオーストラリア・メディアとのインタビューでこう語っている。

ガリエラがフェラーリに入社した当時、「フェラーリは新しい市場に参画しようとしていましたが、顧客体験や対応は国によって異なっていました。国際的な協調はまだ存在していなかった」という。

フェラーリ・ファンであれば誰もが手に入れたい、台数限定の『スペチアーレ』。
フェラーリ・ファンであれば誰もが手に入れたい、台数限定の『スペチアーレ』。    フェラーリ

つまり、国ごとにバラバラだったマーケティング活動を統一し、新しい市場に参入する基盤作りをすることが、ガリエラに期待されたタスクだった。同じインタビュー記事で彼はこうも語っている。

「自分の仕事で最も嫌だったのは、(顧客に)ノーと答えることでした」

フェラーリ・ファンであれば誰もが手に入れたいと願うのが、台数限定の『スペチアーレ』である。彼らは自分の夢をかなえるために、ありとあらゆる手を尽くす。そして最終的に辿り着くのが、グローバルなマーケティング責任者であるガリエラだった。

従って新しいスペチアーレが発表されると、もしくはその噂が広まっただけで、ガリエラのところに数え切れないほどのメールが届き、電話が掛かってきたのである。

彼らは懇願する。「次のスペチアーレ、どうしても手に入れたいんだ。私はこれまでにフェラーリを何十台も買ってきた。先日、発表されたニューモデルも発注した。だから、新しいスペチアーレを、是非、私に1台売ってもらえないだろうか?」と。

ある種の開放と民主化を成し遂げた人物

前述したインタビューでガリエラは、こうも語っている。

「例えば、お金を持っているというような理由だけで申し込んでくるお客様がいます。そういう方々は、『私はどこそこの王だ。だから、私はこのクルマを手に入れるに相応しい』と仰いますので、私は『ええ、そのとおりですが、貴方はフェラーリのクライアントとして相応しいとは言えません』と答えます。こうしたやり取りは私にとって簡単です」

モンテゼーモロが会長の時代と比べ、マラネロの空気は変わった(2014年撮影)。
モンテゼーモロが会長の時代と比べ、マラネロの空気は変わった(2014年撮影)。    フェラーリ

「大変なのは素晴らしいお客様からお問い合わせを頂いても、その方が(限定台数が例えば200台だった時に)世界でトップ200のフェラーリ・クライアントに入っていらっしゃらないケースです。それでも、私が説明するとほとんどのお客様はすぐに理解してくださりますが、中には『ノー!』と言って何度も頼まれる方もいらっしゃいます」

私はルカ・ディ・モンテゼーモロが会長を務め、ジャン・トッドがCEOに就いていた当時からフェラーリを取材しているが、この時代のフェラーリは気位が高く、排他的なムードがなきにしもあらずだった。

そんなマラネロの空気は次第に和らいでいったが、私にとっては、ガリエラこそはフェラーリの変革を象徴するような存在だった。それまで固く閉ざされていた門を開き、ある種の開放と民主化を成し遂げた人物。それが、私にとってのガリエラだったのだ。

記事に関わった人々

  • 執筆

    大谷達也

    Tatsuya Otani

    1961年生まれ。大学で工学を学んだのち、順調に電機メーカーの研究所に勤務するも、明確に説明できない理由により、某月刊自動車雑誌の編集部員へと転身。そこで20年を過ごした後、またもや明確に説明できない理由により退職し、フリーランスとなる。それから早10数年、いまも路頭に迷わずに済んでいるのは、慈悲深い関係者の皆さまの思し召しであると感謝の毎日を過ごしている。
  • 撮影 / 編集

    平井大介

    Daisuke Hirai

    1973年生まれ。1997年にネコ・パブリッシングに新卒で入社し、カー・マガジン、ROSSO、SCUDERIA、ティーポなど、自動車趣味人のための雑誌、ムック編集を長年担当。ROSSOでは約3年、SCUDERIAは約13年編集長を務める。2024年8月1日より移籍し、AUTOCAR JAPANの編集長に就任。左ハンドル+マニュアルのイタリア車しか買ったことのない、偏ったクルマ趣味の持ち主。

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