モスクヴィッチ/ヴァルトブルク/ラーダ 英国で歓迎されたソ連の大衆車 前編

公開 : 2021.11.28 07:05  更新 : 2022.08.08 07:20

2ストローク3気筒の991cc

同じ頃に、英国へやって来たのがヴァルトブルク。モータースポーツでの活躍はなく、話題の中心にはならなかったかもしれない。それでも353は、現代的な雰囲気のボディに妥当なメカニズムを内包していた。

ご登場願ったターコイズブルーのヴァルトブルクは、今回の3台のなかでは最もデビューが古い。1976年の販売終了まで、殆どデザインに変更を受けず生産が続けられている。

ヴァルトブルク・ナイト(1967〜1976年/英国仕様)
ヴァルトブルク・ナイト(1967〜1976年/英国仕様)

製造は、当時の東ドイツに存在していたVEBオートモビルヴァーク社。創立は1898年と古く、ヴァルトブルクというブランド名はアイゼナハに存在する古城に由来している。

353は、英国ではナイトという車名が与えられ、モダンなデザインが特徴だった。エンジンは同時期のDKWやサーブが採用していたものに似た、2ストローク3気筒の991ccだが、共通性はない。

ヴァルトブルク・ナイトは前輪駆動で、最高出力は45ps/4200rpmと、今回の3台では最も非力。ところが燃費も一番悪く、1967年のAUTOCARの試乗では、8.7km/Lだったという記録が残っている。

モノコック構造ではなく、フレームとボディは別体。ボディの骨格に外装パネルがボルトで固定され、フレームシャシーに載っている。

反面、セミトレーリングアーム式の独立懸架となる、リア・サスペンションは現代的。モスクヴィッチとラーダは、リアがリジッドアクスルだった。

英国へ輸入が始まったのは1967年から。左ハンドル車ながら、サルーンのナイトとステーションワゴンのナイト・ツーリストは、約2万台が売れている。

フィアット124のライセンス生産モデル

欧州での排出ガス規制が厳しくなり、2ストローク・エンジンは1988年に終了。マイナーチェンジを受け、フォルクスワーゲン・ゴルフ用の1.3L 4ストローク・エンジンに置き換えることで、さらに3年間製造されている。

VEBオートモビルヴァーク社はヴァルトブルク・ナイトの生産開始にあたり、英国仕様の部品を調達するため、当時700万ポンドもの投資を行った。バッテリーやクラクション、タイヤ、シートや内装素材などを、英国から輸入する計画だったという。

ラーダ1200(1974〜1983年/英国仕様)
ラーダ1200(1974〜1983年/英国仕様)

ところが、冷戦の悪化でソ連による政治的圧力が上昇。1968年には、すべての部品や素材を現地で調達することが求められた。今回のヴァルトブルクは、生産開始から間もない頃のナイト。7番目か8番目に輸入されたクルマで、英国製の内装で仕立てられている。

最後の1台は、恐らく最も知っている人が多いだろう。VAZ社によって1970年に製造が始まった2101で、欧州ではラーダ1200として販売された。

本来はフィアット124のライセンス生産モデルで、ロシア市場に合致するよう、多くの改良が施されている。合計800か所以上の変更が加えられているという。

なかでも目玉といえたのが、トリノ製のオーバーヘッドバルブ1.2Lエンジンを、ロシアのエンジン研究所、NAMIによって開発された新ユニットへ交換したこと。排気量は同じだが、ボアとストロークを変更し、シングル・オーバーヘッドカム・ヘッドを載せている。

このユニットは、ラーダにモータースポーツでの活躍の可能性を与えた。

この続きは後編にて。

記事に関わった人々

  • 執筆

    サイモン・ハックナル

    Simon Hucknall

    英国編集部ライター
  • 撮影

    オルガン・コーダル

    Olgun Kordal

    英国編集部フォトグラファー
  • 翻訳

    中嶋健治

    Kenji Nakajima

    1976年生まれ。地方私立大学の広報室を担当後、重度のクルマ好きが高じて脱サラ。フリーの翻訳家としてAUTOCAR JAPANの海外記事を担当することに。目下の夢は、トリノやサンタアガタ、モデナをレンタカーで気ままに探訪すること。おっちょこちょいが泣き所。

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